ここ最近特にロック雑誌の「分野外のミュージシャン」に対する言及がツッコミを受けることが増えているように感じる(主にRO社が大半だけどMUSICAとかでもたまにある)。それ自体は浜崎あゆみがROCKIN'ON JAPANに載った時からある話でそんなに目新しい話ではないんだけど、SNSで雑誌へのツッコミがアップされることが最近増えた増えた(最近だとwith8月号の夏フェスコーデのページが炎上してた)とか、ここ10年くらいブレイクしたアイドルに「アイドルを超えた」というコピーが冠されるのが普通になってしまったこともあり随分と増えている。
そんな中近年特大級のホームランとして注目されているのが欅坂46の1stアルバム「真っ白なものは汚したくなる」のrockin'on.comにおけるレビューだ。
今週の一枚 欅坂46 『真っ白なものは汚したくなる』 (2017/07/18) 邦楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)
「レジスタンス精神」「蒼い少女性」「危うくも儚いティーンエイジャーのバランス感」とまあよく色々言葉が出てくるなあと思うし、複数パッケージ展開について「ボリュームだけでも十分に注目には値する」なんて斬新な褒め方だなあと感心しきりなわけなんだけど、ここを起点にしてレジーさんと色々会話をした。
件のレビューも読んだけど、やっぱりあの理屈で褒めるなら取材すべきは平手さんではなくて秋元康なんじゃないかという疑念が拭えない
— レジー (@regista13) 2017年7月19日
Perfumeはどうやって「それ聞くならヤスタカじゃね?」を突破して今に至るのか(もしくは実は突破していないのか)
「チームPerfume」という概念じゃないでしょうか。雑誌のインタビューで話すレベルのことはメンバー含めた主要スタッフで共有するとともに、「チーム」として束ねることでメンバーを広報窓口にするスタイルなのかなと。また、MIKIKO先生が最近露出多いのは別の商業的要請のように感じます
— たにみやん (@tanimiyan) 2017年7月19日
それもありそうと思う一方で、「中田さんこんな歌詞書けてすごいなーと思います」的発言もわりとあるんですよね。本来のあの雑誌のスタンスとしては作った人のパーソナリティを掘り下げたくなるはずなんですけど、その辺どう処理してんのかなと(そこまで考えてないかもですが)
— レジー (@regista13) 2017年7月19日
そこは今僕も色々考えてるんですけど、「アイドルの曲の質が高い」という「不均衡な状態」にあの雑誌の持つ「一般論」でストーリーを提示して平衡状態に持ってければそのストーリーに馴染んだ読者は納得するのでオッケーとしているのでは、と推測しています。(続きます)
— たにみやん (@tanimiyan) 2017年7月19日
その辺「人はなぜ物語を求めるのか」 https://t.co/2VZ6tBHZUf という本を読んでからずっと考えてます。ヤスタカじゃなくてPerfume本人でいいのは作品についてそれなりに(客観も含め)喋れて、当事者性を感じられるからかなと思います
— たにみやん (@tanimiyan) 2017年7月19日
もしかしたらあの雑誌が一貫して求めているのは「物語の語り部」なんですかね。たまたまそういう人って自作自演が多いからそこに目が行きがちだっただけで、「自分で作ってるか否か」は実はそこまで重要というわけでもないという。あゆ表紙もおそらくこの構造でしたよね https://t.co/IWXYmOBO0U
— レジー (@regista13) 2017年7月19日
というわけでここで考えてることをもう少し詳しくじっくりと話してみたい、というのが今日の趣旨。
今日の副読本は、文中でも上げている「人はなぜ物語を求めるのか」。
この本で提示されている論理に乗っかってみると、どうしてこのような言説がまかり通るのかがわかってくるはずだ。早速簡単にサマリーする(各章末のサマリーからピックアップしたもの)。
- 人は「世界」や「私」をストーリー形式(できごとの報告)で認識しており、物語の形式で表現・伝達する。
- 人は個別の事例から一般論を帰納し、その一般論から演繹して新たな事例の原因・理由を説明したがる
- ストーリーは平常状態が破られるところから始まり、受信者・解釈者は非常事態が収まって新たな平衡状態に着地するところを期待する
- 「実話」と「ほんとうらしい」は異なるが、人は手持ちの一般論に話が合致した時に、その話を「ほんとうらしい」と感じる傾向がある
- 人はストーリーを理解しようとする時に登場人物の信念や目的を推測・解釈しており、ストーリーの中で多くのことを決めつけて生きている。
この本はちょっと筆致があまりに類型的な気がしなくもないけど、「いわゆる邦楽誌的な価値観を説明するにマッチした論理である」ように感じた。もちろん欅坂46の話もよく当てはまると思える。
どういうことか。ROCKIN'ON JAPANに代表される邦楽ロック雑誌にはそれまで歴史的に積み重ねてきたものの見方があり、それが書き手・読み手の多くに浸透している。すなわち、それが本書で挙げられている「一般論」に該当するといえる。その内容は例えば「ロック=反骨精神」だったり「生き様が高い音楽性につながる(2万字インタビュー的な)」だったりするのだろう。ただし、色々な商業的要請によって、「ロック」のカテゴリに入らないようなミュージシャンを特集しなくてはいけない、という「平常状態が破られる」事態が時折生じる。古くは浜崎あゆみから、Perfumeもそうだし、ゴールデンボンバー、いきものがかり、そして今回の欅坂46もある種の非常事態とみなすことができる。なのでそれに対してこれまで培ってきた「一般論」を駆使して書き手・読者共に「このミュージシャンはこの雑誌に掲載されて然るべき存在だ」と納得するような記事を作る、という筋書きだ。
そしてそのストーリーの提示はフロントマンが、ということになるだろう。それもまた雑誌で積み重ねてきた「一般論」だから。その時にはどうしても普段以上に過剰に修辞句を使ったりすることが出てきてしまうゆえに、先に挙げたようなお腹いっぱいになる文章ができてしまうのではないだろうか。書き手や雑誌の持つアティテュード・一般論はそれらが個別事象から演繹してきたものの積み重ねに成り立っている。それゆえ常々偏っているものだということを僕達はきちんと理解していちいち過剰反応せずに付き合っていかなくてはならないと感じるところ。
ただ、音楽についてどう語るかっていうのは常々難しいテーマとして挙がっているところで、これまた何度か議論になってる話。特に最近は色々ビジネス的に曲がり角なのでそういう観点から語る人は多い(かくいう僕もそういう流派に位置付けられるだろう)。とはいえ音楽表現そのものにきちんとフォーカスしようとするととても難解なものになりがちだ。これは音楽理論が難しいとかみんなよくわかってないとかそういうことではなくて、音楽が視覚情報を持たないからそれを文章だけで説明することがそもそも難しい、という構造上やむを得ない問題な気もするけど。とりわけリスナーが多くマスとは言わずともそれなりの層にリーチする必要がある邦楽ロック雑誌が生き残りのためにとってきた手法が今の記事制作手法なのではないかなとも考えられるところでもある。別に悪いことだというつもりはないが今でも「音楽そのものやシーンの傾向に対する向き合い方やアティチュードが過剰に称揚されるシーン」は多いと感じるので、いわゆる「ロキノン記法」はなんだかんだまだまだ広く受け入れられてるのだと僕は思う。ここについては僕はこれらの雑誌についてそれほど熱心な読者ではないのでなんとも掘り下げられないところがあるけど。
ところで話題に挙げた欅坂46のアルバム、配信で全曲パッケージングされてるのでちょいちょい聴いてる。まだ実は全部聴ききれてないんだけど全般的に音や歌唱などが整った曲が多いな、という感じ。というかある種整いすぎてるというか時折凛としすぎてる気もして聴いてて妙に疲れることがあるんだけど、その中に時折挟まれる牧歌的な楽曲群にホッとする。