たにみやんアーカイブ(新館)

音楽について何か話をするブログです

VIVA LA ROCKとオーディエンスの「ノリ」の話

さいたまスーパーアリーナで行われた春フェス「VIVA LA ROCK」に今年も行ってきた。チケットを買って参加したのは初日だけで、残りの日は屋外のフリーライブだけ観覧。地元を盛り上げようとしてくれてるし、ラインナップも他の春フェス(あるいは他の季節のフェスなどと比較しても)新人・新しい潮流のピックアップに熱心な印象があるし、何より会場近いしで今年も行ってきた次第。因みに外側のけやきひろばで行われているVIVA LA GARDENには5月1日から5日間連続で行っているのだけど、それはまた別の話。

因みに見てきたのは次の通り。

5月3日:KANA-BOON→SHISHAMO→Indigo La End→FOLKS→cero(冒頭2曲のみ)→Awesome City Club→KICK THE CAN CREWスピッツBOOM BOOM SATELLITES
5月4日:大森靖子
5月5日:ザ・チャレンジ→Yogee New Waves

4日・5日はビール飲んでた時間の方が長いかもしれない。とりあえずスピッツがめちゃくちゃ良くって見に来て本当に良かったと思えたのとちょっとだけ聴いたceroの新曲がむちゃくちゃドープで凄いことになっていたのが印象的だった。

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イベント自体の感想を先にしておこう。まずフェスのインフラ面の話。新設のTSUBASA STAGE。そのライブ時間だけ出入り口が変わるという変速設定だったけど、導線の面ではそんなに混乱はなかったように感じている(唯一の例外は初日の銀杏BOYZ)。屋外で駅近くのため音量そんなに出せないので、距離を取るとどうしても風で音が流れたりしてしまうのは仕方ないかな。ただ、このステージの設置によって昨年あった「本会場とVIVA LA GARDENの分離感」みたいなのはなくなってて良かった。

オトミセ・イベントブースは行かなくて、どんな様子か結局確認できなかったのが惜しいんだけど、昨年200レベル(入り口入ってすぐ)でやっていたトークイベントを最上階の500レベルまで移したのは導線面からしてもとても良かった。

当日はJAPAN JAM BEACHという競合(と言っていいよね。同じようなメンツながら新人を排してウケるメンツに絞り2,000円も安いチケット出してきたんだから)があったからか昨年同様SOLD OUTにはならなかったものの、ふたを開けてみると前年並みもしくはそれ以上くらいの人出だった。その結果かデイタイムに食事処がめちゃめちゃ混雑していたのが大変残念。どの店も数十分・あるいは1時間以上並ばないと厳しそうな感じだった。夕方前くらいまでそんな状態だったけどヘッドライナー辺りの時間帯にはずいぶん空いてて快適だったので、店増やせっていう話にはならなそう(余っている場所もそんなに無いしね)。

概ねそんなところで、食事難民になった以外はインフラ面含めて昨年から向上していた感じがある。来年はさいたまスーパーアリーナが改修工事を予定していることもあり、5/28-29の2日間で行われることに。「埼玉であること」を強調し、盛り上げようとしてくれているイベントなので、来年も1日は行こうと思っている。

さて、ここからは去年と割と同じ話。昨年書いた話を下敷きにはしているけど、繰り返しばかりではないはずです。

●ロックのスポーツ化の話、復習

去年のVIVA LA ROCKの後に「高速4つ打ち邦ロック」「画一化する反応」「ロックのスポーツ化」みたいな話で一部界隈で話題になった。そして今年どうなったかっていると、よりその傾向は顕著に、というかミュージシャン側も含めて二分されるようになってきた。まずは昨年に続き前日参加された方のこちらの記事。 2015-05-07 - WASTE OF POPS 80s-90s

「別にバンド側がやらせているわけでもないのにみんなが同じタイミングで同じ振りをする」という、オーディエンスのアクションの定型化がより一層目立つ形になっています。アイドルとかV系のライブで見られる傾向がこっちにも流れ込んでいる感。 昨年感想を書いた後に補足していただいた「ライブのスポーツ化」「体育会系女子中心」という状況がより見えやすくなってきました。 バンドがその「機能」のみでもって評価され、バンドのパーソナル等々含めてその「機能」以外のものは何も求められていないという状況です。

ライブ・ロックがスポーツ化しているっていうのはレジーさんのブログによるとROCKIN'ON JAPANの2013年2月号アジカンのゴッチが指摘していた話、ということだけど、このブログの副読本と化している「オルタナティブロックの社会学」を元に再度整理し直しておきたい。

  1. 1990年代初頭のシューゲイザーオルタナティブロックは、ギターリフ重視・音を塊として聞かせるという点で、ロックのサウンド面を大きく革新する物であった
  2. それを後押しするようにPAエフェクターなどの機材も同じ時期に大きく進歩を遂げ、ライブ会場などで音を塊として届ける環境を創出した(一方で録音物の入力音量レベルは年々上がっている)
  3. この、「波の音楽」から「渦の音楽」への変化により、ロックミュージックはダンスミュージック(レイヴやEDMを考えるとわかりやすい)と同様に音に合わせて身体的な運動を呼び覚ます音楽へと変わっていった
  4. この「オルタナティブロック以降のロックが身体の躍動を一義に置くようになった(最も重視するようになった)」現象を「ロックのスポーツ化」と呼ぶ
  5. 近年ではロックフェスの存在がロックのスポーツ化に拍車をかけている。フェスでの音楽の聴き方はミュージシャンの主張や意図や理念ではなく、「今そこに鳴り響く音」そのものだからだ。観客にとっては気に入った音屋言葉の響きに即座に動物的に反応することの快楽がここでは優先されている
  6. また、日本の音楽マンガ「BECK」ではロックフェスを舞台に動員数で勝負するという「ライバルとの勝負」という王道少年スポーツマンが的な展開が見られる。また、演奏シーンで躍動する瞬間をスナップ写真のように切り取り描く手法が効果的に用いられており、これもまたスポーツマンガと相似している点である

レジーさんやゴッチさんの指摘するスポーツ化は「動きの定形化」みたいなところに対する指摘という認識だけど、その前に「ライブで体を動かすこと」重視=フィジカル重視という潮流があるということは間違いない。因みにこの本が出版されたのは、昨年のVIVA LA ROCKの直前である。まさにこの後述べられたことが全て詰まっている(省略したがサークルモッシュやウォール・オブ・デスに関する描写もあり、その点でも前掲のブログと一致する)。そして、現在のいわゆる「邦ロック」が、こういったオルタナティブロックの影響下にあるバンドやそれを換骨奪胎したかのような新世代バンドで占められていることからしても、とても納得のいく話だろう。

柴那典さんはクラムボンのミトさんがインタビューで「EDMと邦ロックは(ある一面においては)同じ機能を果たしてる」と指摘していることをはてブのコメントで述べていたがミュージックマガジンに掲載されたそのインタビューではこう述べている。

EDMも求められているのは音の機能そのものなんです。”ここの拍にはこの音を入れてほしい”という客の要求があったら、それをみんな入れる。その上で音を徹底的に鍛える。そこで共通の感覚を得てボルテージを高めていく。EDMのフェスとか、さながらスポーツの祭典みたいですから。そういうものが今のEDMだと思っています。そこにアーティストのセンスとか、主張はほぼいらないんです。

さっき数行上で見たばかりのような表現ではないか。何度も言うけど「オルタナティブロックの社会学」の出版は2014年の5月頭だ。

ところで上記「ロックのスポーツ化」の話の1〜5までは別に日本特有と言っているわけではない。それでは日本で高速4つ打ち邦ロックがもてはやされるようになった背景は…というところでこのGWに遭遇した出来事から紐解きたい。

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新人歌手である藤原さくらを見ていた人はそれなりに音楽に造詣の深い人が多かったからいろんなリズムパターンに順応できてて裏拍で打てた、というふうに推測するところである。前に「亀田音楽専門学校」の4つ打ちの回のケーススタディでもagehaspringsの玉井さんが「日本人にはグルーヴという概念がない」と著書で述べていた話を引き合いに出したけど、そもそも選択肢が少ないのかもしれない。それもあってインスタントにノれる物に人気が集まっていっているのではないか、というのが僕の認識。

●ロックだけではないスポーツ化・画一化、「盛り上がり」は正義なのか?

「インスタントにノれる」あるいは「インスタントにアガれる」というのが今のライブ現場で起きていることを掴む一つのキーワードなのではないかと最近感じている。リアクションの定型化はそのわかりやすい例なんじゃないか。みんなで同じことして一体感が出てくるとアガるもんね。だからTOKIOみたいな知名度の高い人気者がもてはやされるわけだし、アイドルネッサンスみたいに絶妙なカバーを高い練度でパフォーマンスするグループが耳の早いアイドルファンの間で急速に広まるわけだ(制作陣のインタビュー読んだけど、最初からカバーで行くこと決めてた辺りも含め極めて考えて作られたグループだと感じている)。

「アガる」「沸く」「エモい」「多幸感」等々色々表現されるけど、いつも思うのは「どんな曲にも似たり寄ったりのリアクションを」ということと、「果たしてこういう状態が唯一のゴールなのだろうか」ということ。前者は何度も思ったり言ってるから付け加えることはないんだけど、「楽しみ方は無限大」みたいに標榜しても結果として同じ光景に収斂しているのを見ると何とも言えない気持ちになる。この辺はもっと説明できるようになりたい。

それから後者の「盛り上がりが唯一の正解か」という言葉に対するカウンター的なライブだったのがこのVIVA LA ROCK初日のクロージングアクトを務めたBOOM BOOM SATELLITES本編のセットリストは全て2013年のアルバム「EMBRACE」以降の楽曲のみというセットリスト。この「EMBRACE」は、その前年に川島道行がライブ直前に倒れ、アルバム完成後に脳腫瘍の手術をしたということもあり、より内省的・あるいは暖かみを持つ音像の作品へと大きく変化している物だ。攻撃的な感じではない。

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もう少し具体的な言い方をしよう。この日のBOOM BOOM SATELLITESのライブでは「EASY ACTION」も「KICK IT OUT」も演奏されなかった。アンコールで「DRESS LIKE AN ANGEL」を演奏したが、本編は全部最近の曲で、唯一アッパーな「ONLY BLOOD」ですら、これまでの彼等の代表曲に比べるとソリッドで攻撃的なサウンドという感じの曲ではない。しかしながら率直に言ってこのライブはとても良かった。みんなでおそろいの動作をしたわけでもなく、そもそもそんな曲調でもない(4つ打ちは割とあったかな。でも早いのばっかではない)けれども、じわじわと心の奥底にわき上がってくるものがあった。すぐにTSUTAYAにアルバムを借りに行ったわけだけど、ブンブンの新しいアルバム、とても良いです。

色々言ってきたけどなんだかんだでこの流れが止まるような気はあまりしていない。だってこの定型化みたいなのって、4・5年前くらいから邦楽ロックフェスに行く度にずっと気になってきていたことだし。UNISON SQUARE GARDENの田淵さんがWebラジオで今のライブのノリの傾向を「オーディエンスの、演者とコミュニケーションをとりたいという気持ち(繋がりたい欲)が強まっている結果ではないか」と分析していて凄く納得がいったんだけど、だとするとコミュニケーションが(形の上では)しやすくなったこの時代では当然の帰結というように思えてくる。そしてこれからはもっとそうなっていくのかな、という気持ちにもなる。僕個人としては自分の聴きたいように聴キリアクションするってだけなんだけど、このまま傍観していると現代のライブのレールに乗っかれないミュージシャンがどんどんフェスからはじき出されていって先細りになってしまうんじゃないかなあというのが心配(もちろんフェスが全て、ということを言うつもりはないけど主要な「新しい音楽に触れる機会」ではあるからね)なのでこういうことを言っているというところもあったり。

なんだけど、Awesome City Club(大入りではあったけど他の新進ロックバンドみたいに規制にはならず)やcero(客入りはぼちぼちってくらい)なんかを、例えそこまで集客に結びつかないとわかっていてもきちんと意志を持って呼んで紹介してくれようとしているVIVA LA ROCKにはとても好感を覚えているので、来年も行く予定です。