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総括されるJ-POPとそのターニングポイントたる「1998年」

書こうと思いながらずっと暖めておいた話。個人的に色々とバタバタしてたので久々の更新です。

この1月~2月に亀田音楽専門学校のSEASON3が放送された。今回のテーマはJ-POPの歴史っていうことでJ-POPという言葉が誕生した1980年代末から今に至るまでのJ-POPの歴史を4回に分けて解説している。それを受けて書かれた記事に内容が割と載ってるので参照して頂ければと思うんだけど(他力本願)、それと時期を同じくして、1冊の本が話題になっていた。宇野維正さんの「1998年の宇多田ヒカル」だ。

この本は宇多田ヒカル椎名林檎aiko浜崎あゆみといった1998年デビュー組の女性ソロシンガーの歩みや音楽性を深掘りし、またその相互の関係性なども考察している。率直に言うとめちゃくちゃ面白かった。特に宇多田ヒカルの音作り(特にコーラスワーク)と全米デビューがなぜうまくいかなかったかという話は音楽的にかなり興味深い話だった。そしてこの本は取り扱っている対象のキャッチーさ、そして本のタイトルにもなっている宇多田ヒカルの音楽活動再開のニュースが発売後程なくして流れたこともあり、「普段音楽を聴かない人」にもずいぶん届いているように見受けられた。どちらかというとクロニクル的な書籍であり、(勿論現代のJ-POPにも触れてはいるのだけど)成熟期のJ-POPの総括という色彩が強い。こういう風にJ-POPを「総括」する流れみたいな動きが並行して出てきているのは偶然ではなく、そういう時期に入ったのかな、と言うところがある。なぜそう考えるのか。昨年出版された佐々木敦さんの「ニッポンの音楽」のある一説が思い浮かんだからだ。

筆者は「Jポップ」なるものが、60年代末に胚胎され、二十年の歳月を経て、80年代末に「言葉=概念」として誕生し、いつのまにか世の中にあまねく行き渡って、ほとんどこの国の音楽そのものを覆い尽くしたあげくに、そこからまた二十年を経たゼロ年代の末ごろに、一応の役割を終えた、と考えているのです。

要はJ-POPの歴史は一区切りしていて総括のタイミングにあり、それゆえそういう言説が幾つか出てきている、という話。なので僕も乗ってしまおう。という便乗感あふれるエントリ。因みに「ニッポンの音楽」でははっぴぃえんどが出てきた1969年から始まっているのでそこは省きつつ、多少補助線を書いていきたい。というわけで、「ニッポンの音楽」「亀田音楽専門学校」でそれぞれ説明されていた時期区分に加え、僕が考えるキーワードも並記してチャートみたいな感じにしたのが下の図である。

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今回言いたいのは二つある。「J-POPの歴史は1998年を境にプロデューサー主導の時代とセルフプロデュースの時代に大分される」ということと、「音楽の視聴形態が転換する時期に、時代横断的な音楽のムーブメントが発生する」ということ。

前者の方から述べていきたい。これはいわば「J-POP産業化の道のり」だ。亀音で説明されてたし「ニッポンの音楽」でも説明されているけど、J-POPという名前が誕生したのはJ-WAVE開局の1988~1989年あたりで、そこから1993年くらいまでのに定着していく。そして、みんなが知ってる1998年くらいまでCDの売上は景気どこ吹く風で右肩上がりになっていくわけだが、その中心にいたミュージシャンの多くはプロデューサー月盟神探湯になっていた、というのが特徴。小室哲哉小林武史・等は言うには及ばないが、ビーイングもそうだし(B'zの2人が初レコーディングまで顔合わせがなかったなどは有名な話)、ドリカムも、中村正人が「吉田美和で一儲けしようとおもってけっせいした」と半ば冗談ながら言っているが、スタンスとしてはプロデューサー主導に近い。そして、この時期のそういった流れの中に位置付けられるのがテレビ番組(特にバラエティ番組)内の企画ユニットポケットビスケッツブラックビスケッツにエキセントリック少年ボウイや野猿など、これもある種の「プロデューサー主導案件」と言えるのではないか。

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それに対して、1998年にデビューした歌姫3組が導いたのは「セルフプロデュースの時代」だ。もちろんシンガーソングライターはそれまでもいたし、その中には編曲なども含めて一気通貫でやってきた人もいた。しかし、曲の方向性などを特定のプロデューサーに頼ることなく自分たちの方法論で作り上げて大プロデューサーの作品に比肩するヒットをデビュー後早い段階で作り出した、という点で彼女達は一つの時代の移り変わりを導いたのだ。この本に浜崎あゆみMISIAの名が挙げられてないことを訝しがる意見が散見されたけど、こういった時代の移り変わりという観点からすると適切だったのではないだろうか。そしてこの1998年以降は彼女達や97の世代(NUMBER GIRLくるりSUPERCAR中村一義など)やそれに続くバンド達、平井堅等が引っ張っていったいわば「セルフプロデュースの時代」だと考える。そこで前面に出ていたのがR&B・ヒッポホップのような「ブラックミュージック」だ。もちろんドリカムやSMAPのような先達があったにせよ、見た目や立ち居振る舞いまでダイレクトにブラックテイストが染み込んでいるミュージシャンが表に出てきたのはこの時期ではないだろうか。

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そして今は、プロデューサー主導型とセルフプロデュースとがミックス状態になっているJPOPの成熟期といえるだろう。おそらく2007年あたりからそんな時期なんじゃないかな、と考えているんだけど、この時代の特徴はなんだろうと考えると真っ先に出てくるのが「インターネット」だ。YouTubeニコニコ動画が多くのインターネットユーザーに定着したのはゼロ年代後半位。それゆえに「動画サイトユーザーに飽きられないように15秒でつかむインパクト重視てんこ盛り音楽」も「古今東西のポップスの旨味をうまく抽出した懐かしさと新規性を両立したポップス」も出てきた。ソロもプロデューサー主導もブラックテイストもエレクトロも王道ポップスも色々出てきてどれが、というよりどれも、みたいになっているのがここ数年なんじゃないかな、と。そんな複雑化した時代だから、フィジカル面で訴えかけ躍らせ駆動させるような音楽(あえてここでは詳細を述べないけど)が台頭しようとしてきてるのでは、という感じ。

因みに「1998年の宇多田ヒカル」では「渋谷系は過大評価されている」という主張が述べられていた。その正誤をここで判断することはしないが、別の観点から勝手に補助線を引きたい。何かというと、渋谷系は音楽メディアの過渡期における自然発生的な現象だということと、その観点からしていわゆる「2010年代型のシティポップ」と「渋谷系」はかなり相似の現象ではないかということだ。

一つ目の話。若杉実さんの「渋谷系」では渋谷系とはDJ文化だという趣旨でそれを生み出した渋谷のレコードや文化の成り立ちと移り変わり、それが生み出した熱狂について克明に記録していた。

ここで描かれている1990年前後という時代は、レコードからCDへの移行がほぼ終わろうとしていた時期だ。この時期はレコードがメディアとして飽和していたということ、それからCD化に伴う再発盤リリースで過去音源が掘り返されたこと・(そしてほぼ触れられていないがレンタルレコード事業の勃興)からなる「旧譜が豊潤な時代」だった。それゆえ、それらの旧譜を聴くことで様々な着想を得たミュージシャンが同時発生した、というのが(若干乱暴ながら)渋谷系ムーブメントの発祥のテクニカルな側面だと考えられる。そして現代はいろいろな音楽が(非公式な物も含め)YouTubeに上がっているし、配信サイトでも結構色々手に入るし、何ならレンタルでもOKだしTSUTAYAで借りるもよしブックオフで叩き売られているのを買うもよし、という形で旧譜へのアクセスがしやすい時代になっている。状況は1990年前後とかなり近い。そう考えると「渋谷系」も「2010年代型シティポップ」もそういったメディアの移り変わりによる旧譜が豊潤な時代に自然発生する一つの「時代横断的音楽のムーブメント」と言えるのではないだろうか。ceroSMAP×SMAPに出演したときの稲垣吾郎による「渋谷系みたい」というコメントは、そういう相似形であることを肌感覚で表している良いコメントだった。

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日本の音楽業界には色々末法思想的な物が広がっている感じがするけど、こういう風に総括するような話が沢山出てきた時期だから、そこから何か考えてみることは良いことなのでは、と思ったりします。賢者は歴史に学ぶ的な。こんな感じで久々に色々書いてたら書きたいことが出てきたんで次も間を空けずに更新していきたい所存。