たにみやんアーカイブ(新館)

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これからのサカナクションの話をしよう〜SAKANAQUARIUM 2011 DocumentaLy編〜

DocumentaLy(初回限定盤A)

サカナクション幕張メッセ公演に行ってきた。

今回アルバム「DocumentaLy」のツアーということで、そこからの曲が中心となったライブ。僕はサカナクションのそういう形式のライブに行くのは実は初めてで、コンセプチュアルなアルバムの世界をどう表現するか、ということに相当期待していった。

そんでもってサカナクションは期待に十分答えるクオリティの高いライブを展開してくれた。まさにアルバムの世界をばっちり表現しきっていた。

まず最初のRL。これがまず強烈。PC起動、タイピングするビジュアルと合わせ、曲が進行(そういうことだったのね、ってこの時初めて知ったw)。そしてまさかのこの曲をアレンジ。徐々に上がるテンポ。響く重低音。そしてそれが頂点に達する。さあ、幕開け。

そして本編の1曲目にモノクロトウキョー。おっ、と思ったが納得の選曲。「DocumentaLy」のアルバム新曲の中では相応にキャッチーであり、テンションが高まったところに投下するにはちょうどいい曲。

そして「仮面の街」「アンタレスと針」。これらの曲はベースがすばらしい。ロックとダンスの融合したサカナクションの曲は、リズム隊が実に見事に支えている。

そこからの「years」「流線」。アルバムの中でも激しくない、どちらかというとバラード調に近い曲。しかしながらこれらの曲がライブで存在感をあそこまで持つとは思わなかった。特にyears。中盤のブレイクはまさに狂気。狂おしい思いが存分に表現され、切なく絞り出すボーカルとの対比とが美しかった。

そしてアルバムの中の核となっている楽曲「エンドレス」。徐々に盛り上がっていく秀逸な構成はライブで聴くと更に映える。最初はじーっと聴き、身体が踊り出していく。アルバム同様の流線からのつながりもまた世界観の演出に一役買っている。

そこからの「バッハの旋律を夜に聴いたせいです。」まさかの、MVで使った山口一郎の分身人形達の登場。通称二郎〜五郎。帰ってきてたのか…wそれがMVのまんまの踊りをする!!元々この曲ではその踊りを思いっ切りしてしまおうと思っていたのでこれは願ったり叶ったり!なんたる演出。しかも肝心のバンドが完全に裏に隠れてしまっているし、やけに切れが良いし、もうなんか完全に笑いながらあのダンスを踊ってた。

そしてすっかりライブでは定番になった「ホーリーダンス」。更にそこからの「DocumentaRy」。ライブでホーリーダンスからインストに移るパターンは去年の冬フェス以降定番となっているが、このDocumentaRyはライブへのフィット感がすごかった。最初の一音で心が持ってかれた。アルバムの爆音試聴会の時からこの曲は今までのインストの中で、CD音源状態でのバキバキ度が一番高かったから絶対ライブ映えするだろうと思っていたけど、まさかここまでとは。この日のベストアクトはこの曲。期待してたけど、本当に期待以上にいい曲だった。

ライブも終盤になり、すっかりおなじみの曲となったルーキー・アイデンティティを経て、最終曲ドキュメント。アルバムでも(ボーナストラックを除けば)最後のこの曲、予想通りライブの締めにふさわしい曲。前の曲であがった後のクールダウンにもなる。

アンコールでは「DocumentaLy」の曲はなかったので割愛。ただ、最後の「目が明く藍色」の最後でiPadを使ってひたすら写真をめくっていくビデオが流れたのはドキュメンタリー的かつ現代的な演出で非常に良かったということを付け加えておきたい。

 

てなわけで、非常に良かったし、昨日今日の京都のファイナルも非常に良い物であることは想像に難くない。間違いなく今回の「DocumentaLy」ツアーは大成功であったと言えるだろうし、サカナクションは2010年代を代表するバンドとなる足がかりを得たと言えるんじゃないだろうか。というわけで、来年以降のサカナクションに期待なわけだけど。

サカナクションの音楽は、日本の商業音楽市場ではマイナージャンルであるクラブミュージックとメジャージャンルであるロックを結びつけてたぐいまれなるセンスで独自の音楽として昇華しているところが最大の特徴であり魅力だ。言葉にすると簡単なんだけど、これでここまでの成功を収めるのは難しいことだと本当に思う。少しでも通好み寄りになるとオーディエンスは簡単に離れてしまうのが日本のポピュラーミュージック市場だ(たまにthe pillowsのように粘り強くファンを拡大していくバンドもあるが)。本格派という言葉は褒め言葉じゃない。その中でああいう道を選んだ彼らはすごく厳しい綱渡りをしている。kikUUikiが本人達の期待ほど売れなかったのも、シンシロほどキャッチーではなかった、通好み寄りだったからというのが大きくあると思う(ただし知名度は大幅に上がっていたからアルバム自体の売り上げはもちろん上だが)。

それゆえに、彼らがその芸術性を突き詰めるほどにリスナーの多くとのすれ違いが生じていく。山口一郎は幕張メッセ2DAYSやれるくらいになりたい、やってみせると言ったけど、どうして次の一手がMV集なんだろう。MV集ってファン用のアイテムだと思うんだよね。間口を広げたい意図はあるんだろうけど、どこまで届くのか。もっとマスに訴えかけて、彼らの世界に引っ張り込んでいくことをしていかなきゃならないんじゃないかな。彼らの音楽はクラブミュージックというマスなJロックリスナーにはあまり馴染みのない音楽の文法をロックと結びつけた希有な物なんだから、もっともっと引っ張り込んでいってリスナーも作り上げて欲しい。今でも他のミュージシャンに比べかなり丁寧にやっているとは思うけど、彼らの道しるべはROCKIN'ONやMUSICAではなくもっと超越したところじゃないかな。

と批判的な物言いをするのは決してそれをくさしたいんじゃなくて(むしろ僕は幕張メッセどころか東京ドームでやってほしいと思ってる)、「本当に大丈夫なのかな?」と思ってしまうところがあるから。それから、去年のMUSICAでのKen Yokoyamaとの対談でVisual Music Sessionについて「それは君たちのファンの血を濃くするだけなんじゃない?」と問うたことが今もずっと引っかかっているからなのだ。多分一郎さん本人も悩んでいると思う。ミュージックステーションでエンドレス歌えば良かったんじゃないかとか思ったけど、まだまだシングル中心のこのご時世ではそれもしんどかったろう。彼らはこれからも間口を広げることと芸術性を追求することの間の微妙な綱渡りを続けていくだろう。その中から産み出されたDcocumentaLyという作品、僕は今までの中で一番好きなアルバムかもしれない。いずれにせよ、武道館〜DocumentaLyで日本のロックシーンの中心に躍り出たサカナクションの次なる展開には期待せずにはいられない。胸を突き刺すようなすばらしい曲と、圧倒的ライブ空間をもっともっと感じていきたいから。