たにみやんアーカイブ(新館)

音楽について何か話をするブログです

ネ申的ネタ本:書評「前田敦子はキリストを超えた〜<宗教>としてのAKB48〜」

とりあえず木曜日に買ってその日と今日で軽く読み終わった。

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)

タイトルが発表されたときに物議を醸したこの本。別にAKB48のファンではないけど(敢えていえばアンチAKB48に対しては厳しい態度で臨んでいるので、擁護しているかのように見えるけど全然曲とか知らない。柏木由紀はかわいいと思う。)、なんかこの本の書評が面白いのでネタ的に読んでみた次第。書店ではそこまで大々的に扱われてはいないように思った。すわ炎上マーケティングか!?と思ったんだけど。

著者の濱野さんは同世代(1歳上)の社会学者。2ちゃんねるとかニコニコ動画とかの研究をしていて、以前観に行ったシンポジウムでめちゃめちゃ飛ばしてて面白かった

さて本の中身。

AKB48の魅力とは何か? なぜ前田敦子はセンターだったのか? 〈不動の センター〉と呼ばれた前田敦子の分析から、AKB48が熱狂的に支持される 理由を読み解いていく。なぜファンは彼女たちを推すのか、なぜアンチは彼女 たちを憎むのか、いかにして彼女たちの利他性は育まれるのか……。握手会・ 総選挙・劇場公演・じゃんけん大会といったAKB48のシステムを読みと くことから、その魅力と社会的な意義を明らかにする。圧倒的情熱で解かれ る、AKB48の真実に震撼せよ!(「BOOK」データベースより)

というわけで、前半は前田敦子にフォーカスして彼女がなぜキリストを超える存在たり得るのかを論証、後半はAKB48世界宗教になる可能性を検討する、というのがすっごくざっくりいった趣旨。なんだけど。

まあなんというかですね、濱野さんは話面白い人だし社会分析をやってきただけあって、話す言葉を持ってると思うんだ。それが、この本では「AKB凄い!あっちゃん凄い!ぱるる(島崎遙香)が次のセンターに最も適任である!」ということを言い表すために遺憾なく発揮されている。まあはっきり言ってね、才能の無駄遣いですよ。別にアイドル評論なんて社会の足しに・学問の足しにならないからどうこうとかそういう高尚っぽいことをいいたいんじゃなくて、この本は濱野さんの溢れんばかりの(というか溢れ出してしまっている)才能が完全に空振っちゃってて無駄になっているという話。

この本が最大に空振っているところは、「なぜAKB48なのか、なぜ前田敦子なのか」に対する回答が不十分だということだと思う。濱野さんはぱるるに推し変した理由を劇場公演の「偶然性」に求めたけど、それって別に他のアイドルでも成り立つじゃんよ、と。確かに劇場にその日ぱるるが出てなかったら、という話はメンバーが多くて多忙な人が多いAKB48特有の事情ではあるけど、「他のメンバーとは向かい合っても視線は合わなかったけど、ただぱるるだけは視線が合った」ということを「偶然性」というのなら、それは他のアイドルでも全然成立しちゃうでしょ!例えば初めて見たももクロのライブで高城れにダンスだけ他のメンバーと圧倒的に違ったのでついつい見ちゃってその結果推すようになったとかさあ(僕のことです)。

AKB48がここまでのムーブメントになった理由には「ファン行動に競争原理を取り入れた」ことが大きいと思っている(その辺は前ブログに書いた)ので、濱野さんがここで書いているのはちょっと論拠としては弱いと僕は思っているんだけど、競争原理にともなう「推してないメンバーに対するアンチ」の存在、そしてAKB48自体に対するアンチの話にしっかり向き合って論を進めているのは凄く面白いしよく書いたと思う。どうしても礼讃本って悪くいわれること自体をなかったかのように取り扱いをしてしまうものだけに。そこで「アンチと向き合う前田敦子、そして書くメンバー」の話はふむふむ、と思いながら読んだ。ただねえ、そこからの話の盛り過ぎ加減は爆笑というかなんというか、この本をまじめな本からネタ本の座にたたき落としていると言ってもいいくらいの空回り加減。例えば有名な2011年のAKB総選挙における前田敦子のスピーチ「私のことは嫌いでもAKBのことは嫌いにならないでください!」に対して、濱野さんはこう評している。

この言葉に充溢するあっちゃんの「利他性」こそが、前田敦子がキリストを超えたアルファにしてオメガのポイントである。それはキリストがゴルゴタの丘で択刑を受けているときに発したとされる言葉「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか)」に匹敵する(いやもしかしたら超えるかもしれない)、自らを犠牲にする者の利他性に満ちた言葉である。

社会学徒として研究を重ねて、血肉としてつかんできたボキャブラリーを最大限に駆使した讃辞。これぞ僕が今年見た中で最高の才能の無駄遣いだよ。というかね、「前田敦子はキリストを超えた」なんて、AKB48のファンで思ってるのは濱野さん位なんじゃないかな。「僕の神様(もしくはAKB的にネ申様)」である人はいたとしても(というかロキノン界隈とかの方がこういうのに対する信仰が熱くてたまにひく)、それを世界に広げるような考えは持っていない。客観的に見てそうなの?という問いに対して濱野さんが熱く語りゆく最後の方はもうなんというか涙無しには見ていられない。笑いすぎで。「AKBが世界進出していくことが世界平和をもたらす道筋」と真顔で言ってるわけだけど、こういう表現がそこかしこに出過ぎてもうなんか笑いながら読むしかない。どうしてこうなった。

なんというか社会学なのかアイドル評論なのか宗教学なのか、どれかに振ろうとして振り切れず、そこら辺に散見される過剰なまでの持ち上げ表現にニヤニヤするのが目的というなんかよく分からない一品に仕上がったのがこの本です。とにかく持ち上げにはボキャブラリーが駆使されててなんというか「なるほど、世の中こういう褒め方があるのか…」と勉強になるような気がしなくもない。ネタとして読むならいいけど、まじめに読んではいけないと思う。ダメ、絶対。劇物、取扱注意。読み終わったこの本どうしようかな。誰かもっと面白い書評書いてくれる人にあげようかな(取扱注意なのに他人には軽々しく渡すのかよというツッコミはありです)。

 

 

あー、意外と普通に書評しちゃった。もっと、こんな風におもしろおかしく書きたかったよ!!

 

●補足(?)

僕の師匠である伊丹先生が監修した「ケースブック 経営戦略の論理」という本にケースとしてAKB48が収められるという珍事が起きております。読んでみたけど、無難な作りになっててまあ間違ってはいないかなと(もう少し踏み込んで欲しかったとは思うけどページ数の関係でしょうがないかな)。

ケースブック 経営戦略の論理 〈全面改訂版〉