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最近のJ-POP界隈の情報量と手数の話 おかわり

cero Music ももいろクローバーZ

クラムボンのLOVER ALBUMの話を書こうかなと思ってたんだけど、今日仕事帰りに観に行ってきた浦和レッズの試合が試合終了間際に同点に追いつかれるというフラストレーションたまる試合だったので、ストレス発散代わりに(?)急遽1時間でブログを書いてみるテスト。

今日のお昼に柴那典さんがすごく面白い話を書いていた。

浮世絵化するJ-POPとボーカロイド 〜でんぱ組.inc、じん(自然の敵P)、sasakure.UK、トーマから見る「音楽の手数」論 - 日々の音色とことば:

この話、特にボカロ周りについては前からうすぼんやり僕も同じことを思ってて、こんなコメントを書いた。

とはいえ140(×2)字だとちょっと説明不足感もあるので誰にも求められていないけど膨らませて書くよ、というのが今日の話。

まあまずヒャダインももクロの情報量の多さについて。これは言うまでもないというか、元々本名前山田健一が職業作曲家としてデビューした頃あまりに仕事が無かったので素性を隠してニコニコ動画ゲーム音楽のリミックスとかを投稿していた時の変名が「ヒャダイン」で、という話は多分僕よりもよく知ってて良く語れる人が多いと思われる。それゆえニコニコ文化どっぷりの彼自身はこの手数・情報量の多さの申し子のような存在である。

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敢えてミライボウル。やたら転調が多いこの曲。Bメロ辺りから入る変な効果音など、代表曲である「行くぜっ!怪盗少女」よりもある種ヒャダイン的というか浮世絵J-POP的な楽曲。

そして「ももクロヒャダイン楽曲」というイメージからの脱却というシナリオの元作られたのが最新作「5TH DIMENSION」であるという話は先日したとおりで、このアルバムはヒャダインを意識したかのような情報量の多さが特徴的で、ある種ヒャダイン楽曲以上に聴いていて疲れる。

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まあやっぱりこれかな。「Neo Stargate」。いずれにせよ最近ももクロとの関係が薄くなったヒャダインでんぱ組.incに前作シングル曲「W.W.D」を提供しているわけで、まさに「浮世絵化するJ-POP」のど真ん中を走っていますね、という話。一方でももクロヒャダイン色をどんどん薄めているとはいえ音楽性の根底は一貫しているように思える。

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さてもう一つの話。若手の「編集力」という話だけど、これついてはまずASIAN KUNG-FU GENERATION後藤正文さんの日記からの引用をば。

ceroの魅力、東京と地方についての追記。

でね、とても豊かな音楽だと思ったの。それはもう悔しいくらい。で、理想郷だって前の日記に書いたのは、都会のことではなくて、この豊かさ(ネット由来ではない)について。HIP HOPもポップスも、ポエトリーリーディングも、サンプリングやカットアップやコラージュとか、あるいは文学も、いろいろな要素が混ざっているんだけれど(俺が感じ得ない何かも)、その編み方が素晴らしいと思った。すごい!って思ったんだよ。俺はレコメンド記事で心が折れかけるほど衝撃を受けたことを告白してる。彼らが(俺の想像では)知的なライブラリに接続する機会を持っていただろうこと、そして、それを土台に創作されたアウトプットが素晴らしいこと(これは彼らの技術だ)、それに感動したんだよね、素直に。 で、これは、凄い時代が来るんだなって思った。全部混ざると。そういう人たちが出てきたと。あー、ゼロ年代は終わるわーって思ったの。俺たちは過去の世代にされちゃうなって。笑。一点突破ではなくて、なんていうんだろう、編む力っていうのかな、もう何もかも出尽くしたなんて言われる時代でも、こうやって新しい組み合わせと感性、そしてイマジネーションで面白い音楽を作るひとたちがいるっていうこと。そしてもう、デジタルネイティブって人たちがどんどん出てくるわけじゃない。誰しもがceroのように表現できるわけではないけれど、最早俺が持っていたような「蚊帳の外」というようなコンプレックスは持たなくていい時代になったわけだよね。

ちょっと引用が長すぎたかな。ともあれゴッチがceroを評して素晴らしい才能と評したのはその「編む力」。それこそ僕がブログでceroについてしょっちゅう言っている「様々なジャンルの音楽が同時並行的に鳴っている」という状態を作り出す力。そしてこれはceroだけではなくて(ゴッチは敢えてネット発の人達を外して書いたみたいだけど)tofubeatsのようなニュータウン育ちのトラックメイカーも持っているし、ボカロP達も持っている。極めて新しい時代なのではないだろうか。凄く完全に余談だけど、ロックバンドでもKANA-BOONとかはそういう「編む力」の申し子なのかもしれない。ある意味ね。あそこまで邦楽ロックだけ聴いてそのエッセンスを上手に抽出して曲を作れているんだから。僕は1曲聴いていいやって思ったけど。

とはいえ必ずしもそれが全てというわけでは無いだろう。ceroの音楽は編集力があるからといって決して手数が多くて情報量過多というわけではない(十分複雑ではあるけど)。

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生身の(変な言い方だけど)、特にインディーズのミュージシャンは、ライブなりアルバムなりで何曲かまとめて聴かせることを念頭に置いて楽曲を作るから1曲1曲にそんなに詰め込むようなことをしない。逆に単曲の再生数が最大の評価尺度になるボカロでは1曲を繰り返し聴かせるために、編集力を駆使して要素を詰め込んでいるのではないか、というのが二つ目のツイートの話。

という辺りが前から思ってた話。それにしても浮世絵というメタファーは秀逸でした。

ともあれ僕は浮世絵的なのじゃなくて水墨画みたいなのも好きなんですよって話で次こそはLOVER ALBUMの話を書くぞということで上手くオチがついたかな。ジャスト1時間。笑。