たにみやんアーカイブ(新館)

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lyrical schoolとアイドルラップの話〜その2:2022年のアイドル・ヒップホップ

先日アップした記事に続き、7月24日の日比谷野外大音楽堂でのライブを最後に現体制を終了するlyrical schoolの活動と表現を振り返り、彼女達の独自性や活動の意義について考えていく。前回は主にリリックの面に分析を加え、彼女達の表現は他者の手によるものではあるもののそこに様々に本人達のパーソナリティが反映された結果リアリティを持った「アイドルのラップ」として機能しており、そこに彼女達の独自性と魅力があるということを説明してきた。では果たしてそのラップを支えるトラック・サウンドの面ではどうだったのかということが今回のメインテーマだ。ある程度結論を先に言うとリリスクの楽曲のトラック・サウンドは所謂「現行ヒップホップ」を追いかけシーンの写し鏡のような存在にまで変貌した。その変化は2020年代に「アイドルのヒップホップ」を表現するために必要なことだったと考える。

ショーケース的なトラック・サウンド

今のリリスクの楽曲が現行ヒップホップとの同期性を強めていく過程に触れる前に、ものすごくざっくりとした2010年代後半〜2020年代初頭のヒップホップシーンの概観をさらっておく。この時代において何よりも大きなトピックとしてあげられるのはMigos「Culture」の大ヒットに象徴されるトラップの流行だろう。高速で刻まれるハイハットが特徴的なトラップのビートはその後全世界的に広がっていき、急速に普及していった。また、その後のトピックとしてはオルタナティブロック・グランジなどの影響を受けている内省的なサウンドやリリックが特徴であるエモラップの隆盛や派手で過剰な音像のハイパーポップの進化などが挙げられ、様々なサブジャンルに分化しながらもアメリカで最も聴かれる音楽となったヒップホップは今最も芳醇な時代を迎えている。

さてリリスクの話に戻るが、リリスクの楽曲の変化において大きなターニングポイントは2つあると思われる。1つ目は2018年の新木場STUDIO COASTで行われた「WORLD'S END」ツアーのファイナル公演、もう一つは2020年末にKMからの楽曲提供で「TIME MACHINE」を制作したことだ。

1つめの転機である2018年10月の「WORLD'S END」ツアーのファイナル公演では既に発表されていたコラボ楽曲である「シャープペンシル feat.SUSHIBOYS」「Cockin' feat.YOUNG HUSTLE」に加え、アンコールで「パジャマパーティー」が初披露された。これら3曲はそれまでのリリスク楽曲で取り扱ってこなかったトラップのビートをまとった曲だった。「BE KIND REWIND」リリース時のキムヤスヒロ・大久保潤也インタビューによると、このツアーファイナル公演に向けてトラップにポップな要素を取り入れた新曲を作ろうとして動いていたとのことであったが、この3曲を皮切りにリリスクの楽曲にトラップビートを基調とした曲が増えていく。2019年頭に「Tokyo Burning」、同年のアルバム「BE KIND REWIND」向けの新曲としては「Enough is school」「YOUNG LOVE」、さらにこのアルバムのリリースツアーで披露された新曲3曲「LAST SUMMER」「Bring the noise」「OK!」と、リリスクの現在地はここにあるんだと宣言しているかのように楽曲のモードが転換していった。*1

「BE KIND REWIND」のツアーで発表された前述の3曲は翌2020年春に新曲2曲を加えてEPとなる*2が、その年の暮れに作成されAbemaTVの配信番組でのライブで初披露された「TIME MACHINE」は次の大きなターニングポイントになったと言える一曲だった。この楽曲を手がけたKM*3はこの楽曲の音作りについてこう語っている。

「過去と現在をつなぐ」は今後も度々出てくるリリスクの作品における一つのキーワードだが、ともあれPre Hookのがちゃついた90年代感から今っぽいHookに至るまで、裏で一貫して鳴り響いている太く歪んだベースが印象的なこの曲はリリスクの楽曲を「トラップ以降」に大きく進めていくことになる。かくして「Wonderland 」「L.S.」とリリスクの音楽表現は大きく拡張していくことになる。「Wonderland」では「Curtain Falls」「SEE THE LIGHT」でシューゲイザーやゴスペルのようなジャンルも取り込み大きく広がりを見せ、「L.S.」では「The Light」や「Find me!」のようにギターが鳴り響くエモラップや過剰なシンセイントロが鳴り響く「NIGHT FLIGHT」のようなハイパーポップといった今のヒップホップ最前線の音楽も包含するようになった。「TIME MACHINE」や「L.S.(楽曲の方)」などを聴くとものすごく太く歪んだベース音が鳴り響いている。最近のヒップホップのサウンドのトレンドと言えるものだが、もはやリリスクのアルバムにそういったものが自然に入っていても驚かなくなった(ファンゆえのバイアスはあるだろうけど)。それでいてブーンバップ的なトラックの楽曲も併存できているのがリリスクならではだ(もちろんただそのままオールドスクールなものをやっているわけではなく、例えば「MONEY CASH CASH CASH」のイントロに見られるように今風のモチーフなどもふんだんに使われているが)。かつてBABYMETALが古典的パワーメタルからメタルコア・ピコリーモまでメタルのサブジャンルを積極的に抱え込んで拡張していったかのように、今のリリスクの音の世界は大きく広がっており、まるで今のヒップホップシーンをミニチュアショーケースにしたような煌びやかさを見せている。いや、ヒップホップ以外のジャンルも取り込んで広がる世界はもっと新しい何かなのかもしれない。

「アイドルだから」できること

これまで述べてきたようなサウンドの変化を通じて、この5人のリリスクはリリック同様にトラック・サウンドの面でもプラットフォームとして機能して様々な音楽ジャンルを横断していると言える。これを可能にしたのは、minan・himeをはじめメンバーのベーススキルが備わっていたことと、時代的に「ヒップホップ・ラップがより進化して広く普及した時代」だったことが大きいだろう。フリースタイルダンジョン人間交差点が2015年に始まり、大企業のCMでラッパーがコマーシャルソングをラップするというようなケースも複数現れ、ヒップホップ・ラップがよりポピュラーな音楽ジャンルになっていたのが、リリスクの体制が変わった2010年台中頃の時代背景である。この時代に求められるヒップホップアイドルのスキルやアプローチは、tengal6結成時の2010年のそれとはまるで違うものであったろう。この点においてはキムプロデューサーも初期リリスクの「ラップ未経験の女の子が集まってラップをする」的なアプローチは2010年的で、時代にそぐわないため見直しが必要と体制変更の時点で考えていたという。実際には前掲のインタビューにあるように体制変更時にここまでトレンドの音を取り込むことは考えられておらず、音楽的な変化はかなり手探りで進められていたようだが、リリスクの変化はこういった2010年代中盤〜後半の空気を多分に反映しているものと考えられる。

また、BABYMETAL同様にアイドルというニュートラルな立場であること自体が幅広いジャンルを包含できることにつながっているようにも感じる。例えばMummy-Dは2017年にRHYMESTARの「ダンサブル」を制作する際にトラップビートに乗せたラップに挑戦してみたもののしっくりこずに「いつもトラップのフロウをやっている人じゃないと難しい」と曲を完成させるのを断念したという旨を話していたが、これまでブーンバップ的な曲調のビートに乗せたフロウを長年続けていたことによる癖の集積などが全く違ったフロウを使いこなすこととバッティングしてしまうということは十分考えうることのように思う。その分アイドルというフォーマットはニュートラルであるし、自由である。時には仮歌やラップ指導により作詞したラッパーの癖までコピーしたかのようにパフォーマンスすることすらある彼女達は、様々なビートに乗って様々なフロウのラップをすることで、今のヒップホップをリリスク流に解釈していく。そこでできたアウトプットは今のヒップホップにリリスク色をつけた新しい表現となるのだ。もちろんリリスクにもリアルタイムな解釈をしてるわけではない(制作者のノスタルジーが表出している)作品はあるし、ヒップホップの全てを網羅できているわけではない。しかし、そうであってもリリスクの表現は今のシーンを映す鏡として確実に機能している。そしてこの時代を反映している感じやリリスク流解釈に通底しているキュートさに自分は強く魅力を感じている。

ラップ・ヒップホップについての論述を多数発表しているライターのつやちゃんもフィメールラッパーについての著書「わたしはラップをやることに決めた」にて、リリスクがアイドルという形で活動することがシーンへの批評として機能していると評価している。*4

多様な音楽ジャンルを〝リリスク流〟に咀嚼していくlyrical schoolの試みは、アイドルのカテゴリーを超えて多くのコアな音楽リスナーを夢中にした。あえて「アイドル」というカテゴリーをぶら下げることで先入観を逆手に取り聴く者を錯乱させ、ジャンルが持つコンテクストを揺さぶる挑発的な芸当を見せる。対象=ラップを斜めから捉えることで新たな示唆を与えるという点において、彼女たちが行なったのは批評行為そのものであった。

リリスクはラップ・ヒップホップを斜めから捉え新しい視点を提示する批評者であったという解釈は面白く、納得性も高い。その観点からすると、リリスクが現代的なトラックを乗りこなせるようになったことにより、批評対象であるラップ・ヒップホップの変化に並走することができたとも言える。それによりこの「批評行為」はより説得力を維持し続けられた(あるいは増し続けられた)と言える。いまやリリスクはヒップホップ・ラップのシーンに対するカウンター的表現としてこの上ない存在感を放っている。いや、カウンターとして枠外に置くのも何か違うようにも感じる。つやちゃんは前述の著作の中にある「Wonderland」のディスクレビューでかのように述べる。

長らくラップの意匠を学び吸収し、一歩引いてコアなヒップホップの背中を追いかけてきたアイドルラップが、いま、ラッパーに並び体を張って戦っている勇姿は胸を打つ。それは本物であるオリジナル品にフォロワー品が限りなく近づいた結果、本物がフォロワーっぽく振舞うことでゲームチェンジを果たしている昨今の様々なカルチャーの領域で起こっている様相を彷彿とさせる。そろそろ、わたしたちはlyrical schoolの本気に応答すべきなのだ。

(中略)

そう、アイドルラップは、ついにヒップホップへと追いついたのである。

太く歪んだベース音が鳴り響く中彼女たちの虚実混ざり合うリアルを描くラップが歌われる。そこには紛れもない「アイドルなりのヒップホップ」が存在する。今の5人のリリスクは5年間をかけてトラック・サウンドの面においても自らのヒップホップ性を確立するところまできた。彼女達の織りなすステージ・パフォーマンスはかつて彼女達に対して称されていた「多幸感」という言葉だけでは片付けられない程にたくさんの文脈やストーリー・あるいは感情の発露がある。それらが2020年代のリアリティをヒップホップとして表出するために、これらのトラック・楽曲群が強烈なビートを打ち鳴らすのは必然だったと言える。2010年代的な、洗練されたトラックに乗ったゆるいラップではなく、今この時代のビートとフロウが必要だったのだ。それゆえに、彼女達のヒップホップとしてリアリティが担保されてたと言えるのではないだろうか。よく言われることとして、ヒップホップはトラックだけでもラップだけでもなく、ステージの振る舞いや色々な表現の総体であると称されることが多い。振る舞い・トラック・リリックの3つが奇跡的に高次元にマッチしたからこそ、この5人のリリスクのパフォーマンスが「アイドルのヒップホップ」足り得たことは間違いない。全て揃わなければなし得なかったのだ。ライブハウスのスピーカーから「NIGHT FLIGHT」のイントロが爆音で鳴るたびに、彼女達は様々な歩みを経てここまでの音楽性を獲得するに至ったのだということを思い様々な感情がこみ上げてくる。*5リリスクのアイドルラップは現行ヒップホップをリアルタイムで映す鏡になると共に、シーンを並走する存在になった。そして、彼女達がアイドルであったからこそ、そのリアルタイムなシーンと過去の遺産をつなぐかのような多彩な表現を作り上げることができたのだ。それが彼女達の表現の誇るべき成果だ。

ここまでリリスクの楽曲におけるトラック・サウンドの変化とその意義・功績について述べてきた。次回はこの成果にして今の5人のリリスクの最高傑作といえるアルバム「L.S.」について深掘りしたい。

*1:なお、前述のインタビューによると、2019年時点ではオールドスクール的なものとトレンドの音をバランスよくやっていこうという志向だったようだ。

*2:なお、このEPは5曲中4曲がトラップビートの楽曲である。この後の「TIME MACHINE」についても同じことが言えるが、転換点があった後その影響が本格的に浸透したものになるのは、転換点の楽曲が収録された次の作品において、という形になっている

*3:2020年当時でも(sic)boyのプロデュースなどで頭角を表していた要注目プロデューサーで、キムプロデューサーも割とダメ元みたいな気持ちでオファーしたらしい

*4:ちなみに下記の文章で述べられている「アイドルのカテゴリーを超えて」という文章は、いわゆるアイドル・アーティスト論の話ではなく、単純にアイドルファンのコミュニティ外にも広まりアイドルに普段関与のない音楽ファンにも聴かれるようになったという意味と取るのが適切であると考える

*5:多分この曲にここまでの感傷を抱いているのは自分しかいない気がする