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借りぐらしのアリエッティに見える宮崎駿の「想い」

今週は夏休みなので、毎夕食を作ると共に、映画を観て、読書をたっぷりすることで心身共にリフレッシュしようということで今の所近年まれに見る充実っぷりである。

因みに僕は夏休みの一斉休暇はやめて欲しいと思っている。個人の自主取得にしてくれればロックフェスに合わせて取るんだけどなあ。

さて、それはそれとして、この夏休みでは2作映画を観た。「インセプション」と「借りぐらしのアリエッティ」だ。はっきり言うとインセプションの方が遥かに面白かった。構造がかなり複雑なので(もちろんそのための導入シーンもあるけど)気合がいるけど、とにかくエキサイティング。中身があまりにも濃すぎて1回では全容を把握し切れていない感があるのでもう1回観たいくらいだ。でも今回話をするのは今日見たアリエッティの方。

なぜかというと、凄く気になったことがあるのだ。

この作品、さすがジブリ作品というだけあって、美しい映像、凝った構図・演出で楽しませてくれる。水の入るシーンの美しさはさすがだよなって思うし、しょっぱなからアリエッティがいわゆる「ジブリ走り」をするので、あの絵が大好きな人にとっては今回もたまらない映画だろう。

しかし、宮崎駿監督が脚本になったことで、人間批判・文明批判みたいな物が何か透けて見えるような感じになってしまっている。前作「崖の上のポニョ」では自分も人間だけど人間嫌いで水中生活を送るに至ったポニョの父親宮崎駿の投影のようだし、今回はアリエッティ父親宮崎駿の投影のように見えてきてしまう。というか、もののけ姫辺りから、そういった自分の想いというか思想を宮崎駿監督は映画作品に盛り込みすぎではないだろうかと思えるくらいだ。今作については具体的にどこがこうというのも言えるんだろうけど、まだ公開から1ヶ月しかたってないのでネタバレになりそうな説明は極力控える。

何でこんなことを思うのかというと、この記事を読んだからだろうな。

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でも残念なことに、僕の予想が正しかったとしてもその宮崎監督の主張を読み取る人は少数派だろうし、多分読み取れたとしてもそれに賛成する人は読み取れた人の中でも少数派になると思う(もしくはその場では賛成したとしても主張・行動はしない)ので、「雰囲気映画としては非常にいいよ」っていう事でまとまりそうな気がする。そもそも雰囲気こそがジブリ映画の本質というかみんなそれを求めて映画館行ってるんでしょ?と言っても怒られないような気がするけど。

僕は基本的に懐古主義は嫌いだけど、スタジオジブリ作品に関しては気持ちはわからなくもない。特に天空の城ラピュタなんかはストーリー展開とか含め、長編アニメ映画作品としてのツボを押さえた傑作だと思う。しかし最近はちょっとずれてきてるのかな…監督のやりたいこと(思想の投影)と顧客の求める物(キレイな映像と感動できるストーリー)が微妙にすれ違っているという意味で。でもまあ結果的に一応顧客のニーズには応えているので興業成績は上がってしまうという結果オーライな状態。でも僕も料金分は元を取った気持ちなのでまあいいのかな。

いやホント普通に映画としてはいい出来なんだよ。主役二人の声もいいし。神木隆之介サマーウォーズといいこれといいちょっとおとなしい系の男の子をやらせたらピカイチだね。

やっぱりジブリだから、宮崎駿だから何か言いたくなってしまうのだろうな。