たにみやんアーカイブ(新館)

音楽について何か話をするブログです

lyrical schoolとアイドルラップの話〜その3:最後にして最高の作品「L.S.」

先日アップした記事に続き、7月24日の日比谷野外大音楽堂でのライブを最後に現体制を終了するlyrical schoolの活動と表現を振り返り、彼女達の独自性や活動の意義について考えていく。1回目はリリック面2回目はトラック・ビート面にフォーカスを当て彼女達の表現が「アイドルによるヒップホップ」としてリアリティと輝きを放っているものであるということを読み解いた。今回はそれらの表現の集大成にして完成形といえる最新アルバム「L.S.」について大いに語る。

因みに、私は熱心なヒップホップリスナーというわけではない(それなりに今旬なのを聴いたりするが)ので、ここからの内容には多分に先行のさまざまな書き手からヒントをもらっているものがある。なるべく自分で再構築することで引き写しにならないように努めたがその点最初にお断りしておきたい。また、私の解釈が絶対の正解というわけでもないということも事前に記しておく。

「5人のリリスクの完成形」ことアルバム「L.S.」

この「L.S.」というアルバムは聴く人によって聴こえ方が大きく変わる作品であることは間違いない。音楽的なトライが多数行われている一方でメロウな楽曲の比率も高く、現体制終了という事実が多くの曲を(本来そういった意図で作られたわけではないであろう曲までも)別れの曲として聴こえさせてくるのもまた事実である。ではそういった文脈を無視して聴いて冷静に評するべきなのか?いや、そうではないだろう。作品を取り巻くさまざまな環境も含めて(取り込んで)作品として味わうことでよいだろう。従って、本稿でも私が別れを連想した部分については正直に言っていく。

まず今回の「L.S.」のアルバム構成上の特徴として、オープニング以外のトラックにスキットが無いことが挙げられる。こういった構成になっているのはこの5人で初めて出したアルバムである「WORLD'S END」以来であると同時に、この2作しか該当しない。今作が今のリリスクの完成形を見せることをそもそものコンセプトにしているために、ストーリー付けなどはしなかったものと考えられる。また、今作の特徴としてほとんどのトラックをヒップホップ畑のトラックメイカーが手がけているというところも挙げられる。ヒップホップ畑でないのは大久保潤也・上田修平・高橋コースケのおなじみ3人くらいだろう(前作「Wonderland」はこの3人と泉水マサチュリーで半分の曲を作っていた)。この辺りについては前項で述べた「アイドルのヒップホップ」のリアリティを担保する人選とも言える。その結果これまでで一番サウンド的にも振り切った印象を受けるアルバムであり、自分としては大好きでこれが今の5人のリリスクの最高傑作であるとすら思っているのだが、思いっきりモードチェンジしているゆえにとっつきやすさが感じられず評価が分かれる面もあるだろうなとは感じられる。

さて、オープニングトラック「R.S.」を終えた後の最初の楽曲は「L.S.」である。ALI-KICKと大久保潤也というこの5人のリリスクのことを最もよく理解している2人による満を辞してのセルフボースティングラップだ。一聴すると過去2作でもアルバムのオープニングナンバーだったALI-KICK曲同様のオールドスクールっぽい意匠の楽曲に感じられるが、現行ヒップホップによく見られる歪んだ太いベース音が入っているところなどはこれまでと違うところを感じさせるし、歌唱メンバーが変わるとそれに合わせて楽曲自体がコロコロ変わる構成はプログレを思わせるところで、一筋縄ではいかない複雑な楽曲構成になっている。「あのこ気になる誰?」と「This is a lyrical school yeah」での押韻は痛快。この楽曲でのラップスキルレベルは相当に高く、内容面と合わせて彼女達の5年間が凝縮されたものになっている。その中で後半にドロップされるhinakoパートにおける80年代みのあるアイドルポップスとヒップホップをマッシュアップしたような展開はこれまでの「アイドルによるヒップホップ」を180度回転させたかのような「ヒップホップアイドルによる王道アイドル*1の実践」とでもいうかのような逆批評行為ともいえる20秒間だ。後半部の勢いそのままビートの密度を上げながら曲はテンション高いままフィナーレへと突入していく。

次のLil’Yukichiによる「Bounce」もミニマルな音に太いベース音が味を添える現行ヒップホップとの接続性を感じさせるナンバーだ。タイトル通りの「Bounce(跳ねる・はずむ)」するラップがこちらの心もBnunceさせてくる楽しいフロウだ。ビートの乗り方を解説していく歌詞の中に含まれたかわいらしいパンチラインとミニマルでシリアスなビートとの対比が面白い。関西人yuuによるフックの「最高やん〜」が最高で、メンバーと一緒に「最高!」って声を出して返したくなる。この曲のラップをスムーズにこなせていることからも彼女達がどれほどのものを積み上げてきたのかがわかる。

3曲目「Pakara!」はValkneeがリリックを、バイレファンキかけ子がトラックを担当した作品である。2021年の夏に披露された夏ソングで、「サーモグラフィー赤い赤い!」という一節は2021年の時代を反映した表現とも言える。トラックは作曲者の名前さながらのバイレファンキ。バイレファンキとはブラジル発祥のヒップホップのサブジャンルで、ミニマルな音にいろいろな音が乗っていて他の国の「Funk」とは全く違う独自の進化を遂げている音楽だ。色々な不規則なリズムと頻繁に鳴るノイジーなブザーのような音、Valknee作詞の「HOMETENOBIRU」を彷彿とさせる凶悪なトラックだ。しかしながらそんな凶悪かつ複雑なビートを乗りこなしながらかわいらしく夏を表現できてしまうってるのがこの5人のリリスクだ。音源だとライブではやらない色々な喋り・掛け声・合いの手などが聞こえてくるのでそこにも注目するのもよし(ライブはライブで様々なメンバー間の掛け合いがあるのでそちらも見てて楽しい)。

4曲目「ユメミテル」はこれまでの曲とは打って変わってのオーセンティックなヒップホップ楽曲だ。もちろんファストラップが挟まったりして技巧的にはなかなかなものであるものの、MUROによるトラックとKashifによるギターの組み合わせはオーセンティックな80'sファンクっぽい感じ。しかしながら歌われる内容からしてただのベタな曲ではないのは第1回で述べてきた通り。ZEN-LA-ROCKが鮮やかにアイドルラップの栄光と苦悩について描いたリリックを通過して歌い上げられる「ユメミテル」のフレーズ。これは1996年の7月に日比谷野音で行われたヒップホップイベント「さんぴんCAMP」で女性ラッパーHACが歌った「SPECIAL TREASURE」のフックそのものだ。

現行ヒップホップとの同期と共に過去からの継承も同居できるところがアイドルによるヒップホップの実演が持つ強みであるというところがこの「ユメミテル」に象徴されている。アイドルラップだからできるのだ。他の誰にもできやしない。

そしてPES作曲の「LALALA」に移る。夜のクラブのパーティーでの気になるあいつとのストーリーみたいなものはむしろ過去のリリスクの方において多用されてきたモチーフだったりする。しかし一方でそこで「ねえ、はっきりしてよ!」と相手側にグイッと行くあたりは今の5人のキャラを多分に反映しているように感じられて微笑ましい。トラックはアコースティックギターの音色が印象的なものだが、イントロとフックはよくよく聴くとDoja catの「Say So」を巧妙にサンプリングしている。PESらしい遊び心の詰まった一作。

続いてRachel(chelmico)とRyo Takahashiのコンビによる「バス停で」。前作この2人によって作成された「Fantasy」のような攻撃的なトラックではないものの相変わらず音数は多くビートを叩く楽器も様々なものが使われており、おもちゃ箱のような印象のサウンドだ。リリックはバスに乗る「君」を見送り手を振るというところから別れを描いたものであることがわかる。バースの部分では「いつか思い出そう こんな日々があったこと」にかかるところで具体的な情景描写が挟まれており、この曲全体で描かれる「別れ」の前提に良い思い出があることを示唆している。まるで今のリリスクのメンバー5人と私達リリスクヘッズのような。こうなると7月24日の野音のライブのことを意識せずにはいられない。たくさん楽しいことがあったね、だから大丈夫、明るく旅立とうねというメッセージなのだろうか。ライブでこの曲のフックで手を振る時、7月24日に手を振るときの気持ちに思いを馳せざるを得ない。

続いてはLil’Leise But GoldとKMによる「The Light」だ。このコンビによって提供された前作「TIME  MACHINE」のようにKM流トラックががっつり。「TIME MACHINE」は轟音のベースが特徴的だったが「The Light」はギターリフが印象的だ。同時期に作られたと思われる(sic)boyのアルバム「vanitas」とのシンクロが感じられる、サウンド的にはバリバリのエモラップだ。ラップの内容は前半では「UNION,CISCO,JETSET Record 限定買いにハシゴする」「世紀末,109,バナナジュース」といったLil’Leise But Gold自身の青春時代だった2000年前後の情景が歌われるが、後半は一気にリリスクにフォーカスが当たり、5色の個性が光る様やファン達への感謝が歌い上げられる。様々な「光」を歌う中でファンと演者の関係性を「光」になぞらえるリリックは聴いていると感情が昂ってくる。

その後のValkneeとlil soft tennisによる「Find me!」もエモラップの系譜に位置付けられる楽曲と言える。最初に公開された時はフックで奏でられるシューゲイザーな轟音ギターリフがあまりに印象的だったため「リリスクがシューゲイザーしてる!」という反応が多く(自分もそういう反応をした)、MVでyuuがギターを持つ姿に対しキムヤスヒロが参考としてスーパーカー中村弘二(ナカコー)の映像を見せていたことやMVがVHSのような映像処理をされていることもあり懐古的な文脈で捉えられることもあるが、普通に今のヒップホップの音だ。そして、Valkneeによるリリックでは抽象的で断片的なシーンの描写が続く中、何かが色あせて変わってしまったかのような世界が描き出されている。その中、「今はするどい肌で傷つく」という意味深な描写と共に「いつの日か遠い街に住む」というフレーズ。これはきっと別れの歌。しかも、「バス停で」とは違った別れを歌った歌だろう。過去のライブの光景やオフショットが走馬灯のように流れるMVも相まってどうにもしんみりしてしまう(このMVが出たときにも現体制終了の予兆は強く感じた)。しかしながらとても美しく叙情的な、リリスクらしい一曲だ。

いよいよアルバムは終盤に入り、BBY NABEとR.I.K.による「Wings」だ。BBY NABEといえば「チェリー」のリメイクがTikTokでバズるなど話題を博しているが、そもそもNY生まれのバイリンガルであり、リアルタイムで現行のヒップホップに触れている存在だ。そういったところから、彼の作ったラップのフロウは今作収録楽曲の中でも特に今っぽさを帯びている。たとえば「早いJet 宇宙がNext I'm a Jetson」という冒頭のラップに顕著に見られるように、全体に渡って早く細かく刻んでラップをしていくフロウからも今っぽさを強く感じる。リリスクのアイドルラップの表現がここまで到達したことの素晴らしさ。今彼女達は大きく羽ばたこうとしているのだ。

いよいよラスト前の1曲は元Awesome City Clubのマツザカタクミとtengal6時代から楽曲制作に携わっていた高橋コースケのコンビによる「NIGHT FLIGHT」。イントロのフィルを経由してからけたたましく鳴るシンセフレーズ。キックの強調されたビートに乗せた速いラップ・三連符のラップ。この過剰なまでに攻撃的でけたたましい音像は、まさにハイパーポップだ。現在進行形の最前線の音楽も今のリリスクは包含して表現しているのだ!リリックの内容はタイトル通りで、高橋コースケが初めてこの5人のリリスクの曲で関わった「つれてってよ」さながらの夜、それも真夜中を思わせる内容。スピード感と切迫感、そしてhinakoバースで歌われる「変な踊り湿度空気思い出すと止まんない」という寂寥感など様々な感情が混濁したまま、彼女達は夜に飛び立っていく。ライブで披露されたタイミングが少し遅かったことやこの後に控える曲のインパクトが強すぎることもあり、なかなかライブの中での盛り上がりどころになることは少ないが、曲自体のドラマティックな展開やアルバム内での位置付け、リリスク自体の進化・成長と並べて見るにとても重要な曲であるし、私はこの曲をライブで聴く度に感情が大きく揺さぶられている。この爆音の中、凛と立つ5人はとても美しい。

そして最終曲にして一番最後にレコーディングされた曲*2である「LAST SCENE」に舞台は移る。この5人のリリスクに最もたくさん曲を書いてきたであろう大久保潤也・上田修平のコンビにより制作された楽曲はトラックこそオーソドックスなディスコチューンを基調にしたものであるが、minanがフックを歌い続け、他のメンバーが交互にラップをしていくという構成があまりにも美しい別れの歌。一方でminanは「この曲は愛の曲だ」という

これはまさに愛の曲だと思います。いまの体制のリリスクは、終わりがあるなかでのいまの儚さ、刹那的な煌めきみたいなものをずっと歌ってきたんですけど、いままさに私たちがそういう状況になったなかで、それが決してつらいだけではないことを、曲を通して伝えてくださっていて。野音ではこの曲を笑顔で歌いたいんですけど、やっぱりウルッとしちゃいそうです(笑)

そう、フックでは一貫して「愛とかピース」と歌っているのである。そしてバースでは卒業する各メンバーが様々な形で「終わる」ことと向き合うリリックを披露していく。risanoは「zipしてlockしてfreezeする」ことを願い、yuuは抵抗する心を表明するも「どんなラストシーンだったとしても君は美しいんだろう」とその終わりを受け入れる。himeは「いつだって今がこれまでのラストシーン」と終わりの先にあるものを見据え、hinakoは「いつか君の手を離すだろうけどもう少しこのまま」と、今にも消え入りそうな声で最後の一瞬までにフォーカスしていく気持ちを表現する。minanは次への橋渡しをしつつ最後まで踊り続けていたいねと呼びかけてくる。五者五様のラストシーンの迎え方を見届けながら、私達も本物のラストシーンに向かって行くのだ。2022年7月24日、日比谷野外大音楽堂に向かって。

先ほども少し書いたが、私はこのアルバムはこの5人のリリスクの最高傑作と呼ぶにふさわしい作品だと思っている。まず何より全ての曲がずば抜けて良い。従来リリスク作品に見られたコンセプトやストーリーなどはないものの、この5年間の彼女達の歩みが曲の良さを補完するストーリーとして働いているともいえる。驚くほど強烈な個性を持った楽曲達が躍動しているアルバムは極めて今の5人のリリスクらしいといっていいのではないだろうか。とにかく個々の楽曲が素晴らしいベストパフォーマンスといえる出来であることに、ここまで到達してきてくれてありがとうという感謝の気持ちが絶えない。この形がこれ以上見られなくなることは悲しいし残念だが、最後にこんなによいアルバムを出してくれ、トップパフォーマンスで締められることは本当に喜ばしいことだ。このアルバムでリリスクの5人が到達した地点というのは5年前には想像し得なかった境地だろう。そう言い切れるくらいにこの「L.S.」は良い作品なのだ。今の5人のlyrical schoolへの特大の感謝を表明して今回の文章を締めたい。そして、1ヶ月後に迫った日比谷野外大音楽堂でのライブが素晴らしいものになることを願ってやまない。

 

もう少しこのままで 夢ならさめないで  ーLAST SCENE

*1:まあ80年代的な(という呼称が正しいかわからないが)ブリブリのアイドルポップスが王道アイドルソングなのか、というのは議論としてありそうな気はする。各時代によってアイドルのあり方や楽曲の特徴は大きく違っているのだが、アイドルについて話をする時にそのあたりが考慮されないことが多いのはアイドルというカテゴリー・ジャンルにおいてはあまりよいことではないように感じる。とはいえこういった「王道かわいいアイドル」というと超ときめき♡宣伝部等少数にも思えるところだが、hinako・yuuの派生ユニットであるブラガもそこに入る稀有な存在であるように思う

*2:この楽曲をレコーディングした時点では全員が進退を決めていたという(RADIO DRAGON NEXT 6/3放送分)

lyrical schoolとアイドルラップの話〜その2:2022年のアイドル・ヒップホップ

先日アップした記事に続き、7月24日の日比谷野外大音楽堂でのライブを最後に現体制を終了するlyrical schoolの活動と表現を振り返り、彼女達の独自性や活動の意義について考えていく。前回は主にリリックの面に分析を加え、彼女達の表現は他者の手によるものではあるもののそこに様々に本人達のパーソナリティが反映された結果リアリティを持った「アイドルのラップ」として機能しており、そこに彼女達の独自性と魅力があるということを説明してきた。では果たしてそのラップを支えるトラック・サウンドの面ではどうだったのかということが今回のメインテーマだ。ある程度結論を先に言うとリリスクの楽曲のトラック・サウンドは所謂「現行ヒップホップ」を追いかけシーンの写し鏡のような存在にまで変貌した。その変化は2020年代に「アイドルのヒップホップ」を表現するために必要なことだったと考える。

ショーケース的なトラック・サウンド

今のリリスクの楽曲が現行ヒップホップとの同期性を強めていく過程に触れる前に、ものすごくざっくりとした2010年代後半〜2020年代初頭のヒップホップシーンの概観をさらっておく。この時代において何よりも大きなトピックとしてあげられるのはMigos「Culture」の大ヒットに象徴されるトラップの流行だろう。高速で刻まれるハイハットが特徴的なトラップのビートはその後全世界的に広がっていき、急速に普及していった。また、その後のトピックとしてはオルタナティブロック・グランジなどの影響を受けている内省的なサウンドやリリックが特徴であるエモラップの隆盛や派手で過剰な音像のハイパーポップの進化などが挙げられ、様々なサブジャンルに分化しながらもアメリカで最も聴かれる音楽となったヒップホップは今最も芳醇な時代を迎えている。

さてリリスクの話に戻るが、リリスクの楽曲の変化において大きなターニングポイントは2つあると思われる。1つ目は2018年の新木場STUDIO COASTで行われた「WORLD'S END」ツアーのファイナル公演、もう一つは2020年末にKMからの楽曲提供で「TIME MACHINE」を制作したことだ。

1つめの転機である2018年10月の「WORLD'S END」ツアーのファイナル公演では既に発表されていたコラボ楽曲である「シャープペンシル feat.SUSHIBOYS」「Cockin' feat.YOUNG HUSTLE」に加え、アンコールで「パジャマパーティー」が初披露された。これら3曲はそれまでのリリスク楽曲で取り扱ってこなかったトラップのビートをまとった曲だった。「BE KIND REWIND」リリース時のキムヤスヒロ・大久保潤也インタビューによると、このツアーファイナル公演に向けてトラップにポップな要素を取り入れた新曲を作ろうとして動いていたとのことであったが、この3曲を皮切りにリリスクの楽曲にトラップビートを基調とした曲が増えていく。2019年頭に「Tokyo Burning」、同年のアルバム「BE KIND REWIND」向けの新曲としては「Enough is school」「YOUNG LOVE」、さらにこのアルバムのリリースツアーで披露された新曲3曲「LAST SUMMER」「Bring the noise」「OK!」と、リリスクの現在地はここにあるんだと宣言しているかのように楽曲のモードが転換していった。*1

「BE KIND REWIND」のツアーで発表された前述の3曲は翌2020年春に新曲2曲を加えてEPとなる*2が、その年の暮れに作成されAbemaTVの配信番組でのライブで初披露された「TIME MACHINE」は次の大きなターニングポイントになったと言える一曲だった。この楽曲を手がけたKM*3はこの楽曲の音作りについてこう語っている。

「過去と現在をつなぐ」は今後も度々出てくるリリスクの作品における一つのキーワードだが、ともあれPre Hookのがちゃついた90年代感から今っぽいHookに至るまで、裏で一貫して鳴り響いている太く歪んだベースが印象的なこの曲はリリスクの楽曲を「トラップ以降」に大きく進めていくことになる。かくして「Wonderland 」「L.S.」とリリスクの音楽表現は大きく拡張していくことになる。「Wonderland」では「Curtain Falls」「SEE THE LIGHT」でシューゲイザーやゴスペルのようなジャンルも取り込み大きく広がりを見せ、「L.S.」では「The Light」や「Find me!」のようにギターが鳴り響くエモラップや過剰なシンセイントロが鳴り響く「NIGHT FLIGHT」のようなハイパーポップといった今のヒップホップ最前線の音楽も包含するようになった。「TIME MACHINE」や「L.S.(楽曲の方)」などを聴くとものすごく太く歪んだベース音が鳴り響いている。最近のヒップホップのサウンドのトレンドと言えるものだが、もはやリリスクのアルバムにそういったものが自然に入っていても驚かなくなった(ファンゆえのバイアスはあるだろうけど)。それでいてブーンバップ的なトラックの楽曲も併存できているのがリリスクならではだ(もちろんただそのままオールドスクールなものをやっているわけではなく、例えば「MONEY CASH CASH CASH」のイントロに見られるように今風のモチーフなどもふんだんに使われているが)。かつてBABYMETALが古典的パワーメタルからメタルコア・ピコリーモまでメタルのサブジャンルを積極的に抱え込んで拡張していったかのように、今のリリスクの音の世界は大きく広がっており、まるで今のヒップホップシーンをミニチュアショーケースにしたような煌びやかさを見せている。いや、ヒップホップ以外のジャンルも取り込んで広がる世界はもっと新しい何かなのかもしれない。

「アイドルだから」できること

これまで述べてきたようなサウンドの変化を通じて、この5人のリリスクはリリック同様にトラック・サウンドの面でもプラットフォームとして機能して様々な音楽ジャンルを横断していると言える。これを可能にしたのは、minan・himeをはじめメンバーのベーススキルが備わっていたことと、時代的に「ヒップホップ・ラップがより進化して広く普及した時代」だったことが大きいだろう。フリースタイルダンジョン人間交差点が2015年に始まり、大企業のCMでラッパーがコマーシャルソングをラップするというようなケースも複数現れ、ヒップホップ・ラップがよりポピュラーな音楽ジャンルになっていたのが、リリスクの体制が変わった2010年台中頃の時代背景である。この時代に求められるヒップホップアイドルのスキルやアプローチは、tengal6結成時の2010年のそれとはまるで違うものであったろう。この点においてはキムプロデューサーも初期リリスクの「ラップ未経験の女の子が集まってラップをする」的なアプローチは2010年的で、時代にそぐわないため見直しが必要と体制変更の時点で考えていたという。実際には前掲のインタビューにあるように体制変更時にここまでトレンドの音を取り込むことは考えられておらず、音楽的な変化はかなり手探りで進められていたようだが、リリスクの変化はこういった2010年代中盤〜後半の空気を多分に反映しているものと考えられる。

また、BABYMETAL同様にアイドルというニュートラルな立場であること自体が幅広いジャンルを包含できることにつながっているようにも感じる。例えばMummy-Dは2017年にRHYMESTARの「ダンサブル」を制作する際にトラップビートに乗せたラップに挑戦してみたもののしっくりこずに「いつもトラップのフロウをやっている人じゃないと難しい」と曲を完成させるのを断念したという旨を話していたが、これまでブーンバップ的な曲調のビートに乗せたフロウを長年続けていたことによる癖の集積などが全く違ったフロウを使いこなすこととバッティングしてしまうということは十分考えうることのように思う。その分アイドルというフォーマットはニュートラルであるし、自由である。時には仮歌やラップ指導により作詞したラッパーの癖までコピーしたかのようにパフォーマンスすることすらある彼女達は、様々なビートに乗って様々なフロウのラップをすることで、今のヒップホップをリリスク流に解釈していく。そこでできたアウトプットは今のヒップホップにリリスク色をつけた新しい表現となるのだ。もちろんリリスクにもリアルタイムな解釈をしてるわけではない(制作者のノスタルジーが表出している)作品はあるし、ヒップホップの全てを網羅できているわけではない。しかし、そうであってもリリスクの表現は今のシーンを映す鏡として確実に機能している。そしてこの時代を反映している感じやリリスク流解釈に通底しているキュートさに自分は強く魅力を感じている。

ラップ・ヒップホップについての論述を多数発表しているライターのつやちゃんもフィメールラッパーについての著書「わたしはラップをやることに決めた」にて、リリスクがアイドルという形で活動することがシーンへの批評として機能していると評価している。*4

多様な音楽ジャンルを〝リリスク流〟に咀嚼していくlyrical schoolの試みは、アイドルのカテゴリーを超えて多くのコアな音楽リスナーを夢中にした。あえて「アイドル」というカテゴリーをぶら下げることで先入観を逆手に取り聴く者を錯乱させ、ジャンルが持つコンテクストを揺さぶる挑発的な芸当を見せる。対象=ラップを斜めから捉えることで新たな示唆を与えるという点において、彼女たちが行なったのは批評行為そのものであった。

リリスクはラップ・ヒップホップを斜めから捉え新しい視点を提示する批評者であったという解釈は面白く、納得性も高い。その観点からすると、リリスクが現代的なトラックを乗りこなせるようになったことにより、批評対象であるラップ・ヒップホップの変化に並走することができたとも言える。それによりこの「批評行為」はより説得力を維持し続けられた(あるいは増し続けられた)と言える。いまやリリスクはヒップホップ・ラップのシーンに対するカウンター的表現としてこの上ない存在感を放っている。いや、カウンターとして枠外に置くのも何か違うようにも感じる。つやちゃんは前述の著作の中にある「Wonderland」のディスクレビューでかのように述べる。

長らくラップの意匠を学び吸収し、一歩引いてコアなヒップホップの背中を追いかけてきたアイドルラップが、いま、ラッパーに並び体を張って戦っている勇姿は胸を打つ。それは本物であるオリジナル品にフォロワー品が限りなく近づいた結果、本物がフォロワーっぽく振舞うことでゲームチェンジを果たしている昨今の様々なカルチャーの領域で起こっている様相を彷彿とさせる。そろそろ、わたしたちはlyrical schoolの本気に応答すべきなのだ。

(中略)

そう、アイドルラップは、ついにヒップホップへと追いついたのである。

太く歪んだベース音が鳴り響く中彼女たちの虚実混ざり合うリアルを描くラップが歌われる。そこには紛れもない「アイドルなりのヒップホップ」が存在する。今の5人のリリスクは5年間をかけてトラック・サウンドの面においても自らのヒップホップ性を確立するところまできた。彼女達の織りなすステージ・パフォーマンスはかつて彼女達に対して称されていた「多幸感」という言葉だけでは片付けられない程にたくさんの文脈やストーリー・あるいは感情の発露がある。それらが2020年代のリアリティをヒップホップとして表出するために、これらのトラック・楽曲群が強烈なビートを打ち鳴らすのは必然だったと言える。2010年代的な、洗練されたトラックに乗ったゆるいラップではなく、今この時代のビートとフロウが必要だったのだ。それゆえに、彼女達のヒップホップとしてリアリティが担保されてたと言えるのではないだろうか。よく言われることとして、ヒップホップはトラックだけでもラップだけでもなく、ステージの振る舞いや色々な表現の総体であると称されることが多い。振る舞い・トラック・リリックの3つが奇跡的に高次元にマッチしたからこそ、この5人のリリスクのパフォーマンスが「アイドルのヒップホップ」足り得たことは間違いない。全て揃わなければなし得なかったのだ。ライブハウスのスピーカーから「NIGHT FLIGHT」のイントロが爆音で鳴るたびに、彼女達は様々な歩みを経てここまでの音楽性を獲得するに至ったのだということを思い様々な感情がこみ上げてくる。*5リリスクのアイドルラップは現行ヒップホップをリアルタイムで映す鏡になると共に、シーンを並走する存在になった。そして、彼女達がアイドルであったからこそ、そのリアルタイムなシーンと過去の遺産をつなぐかのような多彩な表現を作り上げることができたのだ。それが彼女達の表現の誇るべき成果だ。

ここまでリリスクの楽曲におけるトラック・サウンドの変化とその意義・功績について述べてきた。次回はこの成果にして今の5人のリリスクの最高傑作といえるアルバム「L.S.」について深掘りしたい。

*1:なお、前述のインタビューによると、2019年時点ではオールドスクール的なものとトレンドの音をバランスよくやっていこうという志向だったようだ。

*2:なお、このEPは5曲中4曲がトラップビートの楽曲である。この後の「TIME MACHINE」についても同じことが言えるが、転換点があった後その影響が本格的に浸透したものになるのは、転換点の楽曲が収録された次の作品において、という形になっている

*3:2020年当時でも(sic)boyのプロデュースなどで頭角を表していた要注目プロデューサーで、キムプロデューサーも割とダメ元みたいな気持ちでオファーしたらしい

*4:ちなみに下記の文章で述べられている「アイドルのカテゴリーを超えて」という文章は、いわゆるアイドル・アーティスト論の話ではなく、単純にアイドルファンのコミュニティ外にも広まりアイドルに普段関与のない音楽ファンにも聴かれるようになったという意味と取るのが適切であると考える

*5:多分この曲にここまでの感傷を抱いているのは自分しかいない気がする

lyrical schoolとアイドルラップの話〜その1:その「歌詞」は誰のもの?

4月12日にlyrical school現体制の活動終了を発表した。今の5人のリリスクでの活動を7月24日の日比谷公園野外大音楽堂でのライブにて終了し、メンバー4人(hinako・hime・yuu・risano)が卒業、その後は新メンバーを募集した上でminanを中心とした新しいリリスクを始めることになる。今の5人のリリスクについては自分は2017年の7月からがっつり追い始めて5年間ずっと見てきたのでとても寂しいと感じる発表であったが、今年に入ってからの諸々の動きやアルバムの曲リストなどで察してるところはあったのでどこかで納得しているところもあった。そしてその直後にリリースされた現体制最後の最高傑作アルバム「L.S.」を存分に味わいアルバムを受けての全国ツアーを一緒に駆け抜けてるうちに半分以上の公演が過ぎ去ってしまったことに気づいた。もうすぐこの5人との時間が終わってしまう。このままでいいのか。いやよくない。このタイミングで、この5人のリリスクについて僕は書き残しておきたい。というわけで、これまでにこの5人のリリスクが成し遂げてきた「表現」とはなんだったのかを自分の中できちんとまとめたいと思うに至った。この5年間ずっと追いかけたリリスクの表現としてのおもしろみはどういったところにあったのか、何が彼女たちのオリジナルであったのかを自分なりに解き明かし、文章として記述したい。

前書きのような注釈

というわけで、この文章は以下のことについて記述する。

  • 2017年5月21日から今(本稿の公開日である2021年6月20日)に至るまでのlyrical schoolリリスク)の音源・ライブを中心とした表現活動について
  • 上記期間のリリスクの作品に関する「アイドル」「ヒップホップ・ラップ」両面からの考察

一方で、この文章では以下のことについては書かないか、主題としては扱わない。

  • リリスク以外のラップアイドルグループ
  • 2017年2月26日までのリリスク(所謂旧体制)について(今との比較で多少触れるくらいになるはず)*1
  • 今のメンバー5人それぞれの魅力(ここについて話したいことがたくさんあるのだが、この文章ではまずマクロ視点でグループの表現全体について考えたい)

全ての固有名詞は敬称略とする。また、「ラップ」と「ヒップホップ」についてはある程度区分けして書いているつもりであるが、「アイドルラップ」についてはある程度ヒップホップ性を帯びたものとして記載していることをあらかじめ注記しておく。

その歌詞は誰の歌詞?

「ヒップホップアイドルユニット」であるリリスクについて語る時、必ず論点になるのが作詞を本人達ではなく外部の作家(ラッパーだったり非ラッパーのミュージシャンだったりあるいはプロデューサー)が行なっており、基本的に本人が歌詞を書いていないことの是非である。このことについて「リリスクは自分で歌詞を書いていないからヒップホップではない」というように否定的な見解を示す人は多い。ヒップホップという音楽ジャンルはその出自からして多分に自己表現の色彩が強い*2ため、「ラップは自分で書くべき」という価値観が他の音楽ジャンル以上に強固に存在していることがその背景にある。例えば日本語ラップ界の大御所ZEEBRAは著書「ジブラの日本語ラップメソッド」で次のように述べている。

ラップをすることの9割は歌詞を書くこと。だから、俺が買いた歌詞をアイドルが歌うのは超簡単。教えればね。

因みにZEEBRAがパーソナリティーを務めるWREPの番組にhimeが出演した際、ZEEBRAから「歌詞は自分で書かないの?」という質問があり、当時「S.T.A.G.E.」のリメイクでメンバーそれぞれが自パートの歌詞を書いたのでその旨を伝えるとZEEBRAが満足気な反応をした、というエピソードがある。ZEEBRAとしてもヒップホップの名を掲げるなら歌詞くらい書くよねと当然のこととして思い問いかけたのだろう。

また、自己表現として自分が歌詞を書くことと繋がる話として「リアル」であるかどうかもとても重視される要素である。国内の(だけではないけど)ヒップホップにおいては「リアル」か「フェイク」かといった価値判断がしばしばなされており、本物のワルでもないのに悪ぶっている様なラッパーは「フェイク」と呼称され基本的に低く見られる(あるいは無視される)ことになる。こういった雰囲気については、himeから前作「Wonderland」のリリースインタビューにてリリスクにとってビハインドなものであることが述べられている。

私はアングラなヒップホップ、現行の流行りのヒップホップが大好きなんですけど、そういうヒップホップのリスナーの子たちってアイドルを毛嫌いしている人が多いんです。私も自分がアイドルをやってなかったらそっちタイプだと思うからわかるんですけど、アイドルにネガティブなレッテルを貼っていて。ヒップホップってリアル至上主義だけど、アイドルって極上のフェイクじゃないですか。体調が悪かったらそれも出しちゃうのがラッパーだけど、ウチらは具合の悪さとか絶対出しちゃいけないんですよ。そういうギャップがあって、私は揺れ動くというか、板挟みになっていて。アイドルって人を元気にしたり幸せにしたりする最高の職業だと思う反面、ラッパーとして見てもらうためにはハンデだと思っていたんです。

この発言は割と自分の「リリスク観」の根底に影響しているものであると同時に、自分に一つの問いかけを繰り返し投げかけている。すなわち、「リリスクの表現は本当にリアルなものではないのか?」というものである。彼女たちのやっている表現を、本人達が自ら筆を取って書かれたものではないから・アイドルはフェイクの存在だからとシンプルにヒップホップではないと切り捨てていいものなのだろうか。この1年その問いへの答えを求めてライブを足を運んでいたというと大袈裟だが、やはり様々なライブを見る中で折に触れてこの命題について考える機会があったのは間違いない。従って、本稿ではまずこの点について考察していく。

リアルか否かについて考えるに当たって、今のリリスクが2017年5月より前のリリスクからどう変わってきたかという話をしたい。そしてそこから今のリリスクを特徴付ける要素を見出していくとともに彼女達の表現の中にリアリティあるいはヒップホップ性が存在するかどうかを検証していきたい。

2017年5月に始まった今のリリスクはそれ以前のリリスクに比べると「ヒップホップ色を強めた」という捉えられ方をされることが多い。例えば2017年度のアイドル楽曲大賞を振り返る座談会でも「よりヒップホップっぽいスタイルでパフォーマンスしている」と言及されている。ここでは「ヒップホップっぽい」という言葉を「振り付けをつけずにMC集団っぽい振る舞いをステージ上でする」という意味で使われているが、実際この変化は後々に効く大きな変化の第一歩だった。これを機にlyrical schoolは過去の体制から曲調も大きく変わり、ヒップホップとしての純度を高めていくことになるのである。この「lyrical schoolのヒップホップ化(変な表現ではあるが)」というのは前述のステージの振る舞い以外に「リリック」「トラック」の2つのレイヤーで進んでいたと考えられる。これらについて読み解いていくことで彼女達の表現のヒップホップ性というものが見えてくるのではなかろうか。まずは、先述した通りヒップホップ表現のコアであるラップの歌詞=リリックについて考えていくこととしたい。

リリスク楽曲のリリックについては実はステージ上のパフォーマンスが変質し始めた2017年8月ごろに並行して変化が起き始めていた。どのような変化が起きていたのかというと、メンバーのキャラクターやパーソナリティを歌詞に投影する度合いが高くなったのである。「tengal6」や「S.T.A.G.E.」のような自己紹介ラップ楽曲や「FRESH!!!」のメンバー名織り込みリリックとはまた違ったアプローチが始まったのである。具体的にこの年の曲では「(GET AROUND!) TOKYO GIRLS!!」や「GIRLS QUEST」などに顕著に見られる。前者では「hime ride on!」といった呼び込みやyuuのペンギンモチーフ、hinakoパートにディズニー関連のワードが入ったりしている。後者ではより個別メンバーのエピソードをリリックに盛り込んだりしながら日比谷野音でのライブを目指していくのだというストーリーが提示されている。翌年は「High5」で今のリリスクのメンバーがこの5人であることを強調してそれまでの「6本のマイク(tengal6のフックにもある前体制リリスクのキャッチフレーズ)」と明確に線が引かれる*3といったこともあれば、hinakoのディズニーに続きyuuの映画・minanの海外ドラマなど様々な形でメンバーの好きなもの・パーソナリティ・キャラクターなどの反映が進んでいった。この辺りは継続して参加している作家、特にアナの大久保潤也がメンバーのことをよく観察しながら書いていたところによるところが大きいだろう。

そして特筆すべきは2019年の「大人になっても」だろう。Jinmenusagiがリリックを担当したこの曲は、メンバーの子供時代の具体的なエピソードをヒアリングして、それを元にリリックを書くというプロセスで作成された。それゆえにメンバーにとっても実際の自分の子供時代の出来事であるため思い入れの強い歌詞になっており、時には歌いながら泣いてしまったりすることもある特別な曲でもある。この曲はJinmenusagiによる仮歌(セルフカバーではない)がSoundcoludにアップされており、そちらの発表時にもヒップホップファンから反響があった。しかしこの曲で歌われている内容はhinako・hime・minan・yuu・risanoのリアルであり、彼女達の歌・彼女達のラップと言っていいのではないだろうか?*4人の手で書かれたものではあっても、彼女たちの内側から出てきた表現なのでは、ということを思わずにはいられない。これをリアルと言わずなんと言おうか。

「大人になっても」はメンバーの子供時代の実話を描いた歌だが、他の曲はどうだろう。himeがかつて「リリスクにいる自分は別の人として思ってやっている」と述べていたように、アイドルとして振る舞うということはある程度のキャラクター性を帯びて生きることであり、完全リアルの自分ではないということもあるだろう。しかしアイドルがたとえ演じられているフェイクのキャラクターだとしても、そのキャラクターが活動を続け表現を行なっていく中でそのキャラクターに付随するリアリティというものが生じてくるのではないか。*5これまでの楽曲にて描かれてきた具体的なエピソードやメンバーの好みの話などを織り込んだリリックはやはり彼女達なしでは生まれてきてはいないだろう。外部作家が書いてはいるもののこういったパーソナリティーやストーリーを織り込んで作られたものは彼女達の内から出てきたリアルな表現と呼んでもいいのではないだろうか。なおかつそれはヒップホップ楽曲のリリックとして充分な説得力を持ちうるものだろうと考える。

himeもまた、直近の単独インタビューにて外部作家提供のラップを歌うことについての想いを述べている。

今までプロデュースしてくださったJinmenusagiさん、PESさん、KMさんとか。

おこがましいけど、リリスクがお願いしていなかったら、あんなにかわいい歌詞って書いてくれなかっただろうなと思ったんです。

そう考えると、人気のラッパーの新しい一面が見れるし、私たちもいろんな方が書いた楽曲で、さまざまな表現ができる。そして、ファンのみんなもリリスクのいろんな面が見れて楽しいと思うと、すごく貴重で良いグループだな、と。

個人的に、ラッパーはやっぱり自分で歌詞を書いてこそだと考えていたから……。他の人に書いてもらうのは光栄だと思う一方で、引っかかる部分でもありました。

だけど、リリスクがなかったら生まれなかった楽曲がたくさんあると考えたら、すごく面白いことをやっていたんだと考えられるようになりました。

リリスクのラップの表現としての面白みはここにあると言ってもいいだろう。メンバーが媒介あるいはプラットフォームとして機能することで、外部作家として提供するラッパーが単独では書けない新しいものが生まれる。そしてその生み出されたラップがリリスクメンバーのリアリティを帯びた「アイドルのラップ」として表現される。そこに、ヒップホップアイドルグループとしてのリリスクの活動意義が存在していたのだと強く思う。その観点において今のリリスクにおけるリリックの特徴として女性ラッパーの書き下ろし作品が多数あることも見逃せない。元々リリスクのことが好きで関わりもあったRachel・valkneeによる5人のパーソナリティを反映させたラップにも楽曲提供にて関わりを持ったLil’Leise But Goldの作詞曲も、ある種のアンニュイな気分・ネガティブな感じをうまく歌詞に取り込んでおり、メンバーの揺れ動く心や一筋縄ではいかない気持ちを巧みに表現し、歌詞表現に深みをもたらすと共にリアリティの創出に多大なる貢献をしている。

ネガティブなことだけ本音だって思われちゃって ポジティブなことだって別に嘘じゃ無いのにね アイロニーねこれっきり最後にして アタシ、アタシのためだけに歌うの  ーFantasy

そういった観点から最新作「L.S.」収録の「ユメミテル」を見てみたい。この曲のリリックはZEN-RA-ROCKによるヒップホップアイドルグループとしてのリリスク自体をテーマにしたラップで、前半は「ステージでかく汗 DIAMOND」「支えるヘッズは CHAMPION」とヘッズ(ファン)との絆・「流した涙とマスカラ」に象徴されるこれまでの苦労など様々な思い出を振り返りつつも「酸いも甘いもまだコレから その先の向こう側」と大きな舞台に立つことを窺わせる様なリリック、後半では「SO SOLID な LIFE は HARD 女の子も大変な訳で」「たまにココロ ちょっと折れそう モヤる悩み 揺れる思い」とアイドルとして過ごす上での苦悩が語られる内容になっており、今まで述べてきたようなアイドルラップのリアリティをふんだんに歌う楽曲になっており、曲の持つ日比谷野外音楽堂でのライブと繋がる仕掛け*6と相まって現在進行形の表現になっていると共に、これまでのアイドルラップ表現の集大成のようなものになっている。

また、アイドルソングは当て書きされているものやアイドルグループのストーリーを語る楽曲がかなり多い(特にメンバーの人数が少ないグループの楽曲に顕著に表れる)。そういう観点から見るとリリスクが持つヒップホップでありアイドルでもあるという両面性は、メンバーのパーソナリティを帯びた表現をより強固にしているのではとも感じる*7。彼女達の表現はこの上なくアイドルソング的に機能する、リアリティを纏ったヒップホップである。ステージでの彼女達のパフォーマンスはそういうだけの説得力を持っているし、5人の個性とリアルが織りなす表現が胸を打つものあるからこそ自分はこの5年間このリリスクに夢中になってきたのだ。

 

長くなったので(ここまでで7,000字)本稿は一旦ここまでにして、次回はリリスクのビート・トラックがこの5年間でどの様に進化してきたか、そしてそれがどういう意味・意義をもたらしてきたのかを検討していきたい。

*1:私が現体制・旧体制という言葉をあまり使いたがらないのは単純なこだわりです。なんか無機質な感じしません?

*2:この点について書こうとすると記事がもう一本できてしまうので割愛する。よく知るためには定番の書籍ではあるが大和田俊之・長谷川町蔵文化系のためのヒップホップ入門」を参照いただきたい

*3:2017年のインタビューでキムプロデューサーはメンバーをさらに追加する可能性があることを示唆していたがこの辺りで言わなくなった

*4:もちろんJinmenusagi本人も音源公開時のリアクションに応答して彼女達がいたから産まれた歌であるという趣旨のことを言っている。Twitterが削除されてしまったので今は参照できないが…

*5:この点において香月孝史は著書「アイドルの読み方」の中で現代のアイドルはSNS等を通じてオンもオフもパーソナリティを公開し、それをファンが愛でる構造になっていると分析している。また、いわゆる「オフ」についても公開前提である以上公開されるに足る振る舞いを自然としていると指摘し、アイドルのキャラクターの作られ方を構造化している。

*6:この「仕掛け」については別稿で詳述する。

*7:一方で、今いるメンバーの個性に強く紐付いた楽曲はメンバーが替わると出来ない・あるいはやったときに強烈な違和感が生じるという副作用もある。特にメンバー個人個人の好きなものや個別具体的なエピソードの入った曲の中にはこの先のリリスクにおいて実演するのが難しいものもあるだろう。

2022年4月に聴いてよかった音楽

何か大きな出来事に押しつぶされてしまってますが。そしてまた今月も特定発売日の作品に寄ってしまったのであった

 

香取慎吾「東京SNG」

主にスウィングジャズ歌謡的なアプローチが目立つ1枚。こういうの大好き。ちょっと古めなスターっぽい感じもするけどその意匠を乗りこなすことができるのは香取慎吾だからこそ、という感じもある。

 

lyrical school「L.S.」

このアルバムについてはここで語るのはなんというか難しい。今ここで書けるのは「これまでの5年間の積み重ねが花開いたとても素晴らしい宝物のような作品であるということ。どの曲を聞いてもリリスクのメンバーへの感謝の気持ちが絶えない、そんな作品。ちゃんとしたことはまた別途書きます。

 

レキシ「レキシチ」

レキシ7枚目のアルバム。シティポップ・AORっぽさが前面に出てて洒落てる1枚。歌詞は相変わらずだけど。カネコアヤノ・atagi・打首獄門同好会といったゲストのチョイスも旬をおさえててかつサウンド的にもマッチしている。歌詞は相変わらずだけど。

 

羊文学「our hope」

アニメ「平家物語」の主題歌だった「光るとき」がめっぽう良かった羊文学のニューアルバム。シューゲイザーみのある気だるいバンドサウンドというのが特徴だった彼女達の音楽に少しずつポピュラリティが芽生えていってるのを感じられる一作。

 

春ねむり「春火燎原」

凄かった。いわゆるインディ・オルタナティブロックの系譜にある(けれども様々なものを参照しているとみられる)サウンドに乗せたラップとポエトリーリーディングの間を行ったり来たりするような独特のフロウ、そこで歌われる切実さ。今聴くべき音楽が、ここにある。

 

YanKaNoi「ALMA

トクマルシューゴのサポートミュージシャンとして色々な楽器を奏でているyunnikoさんのソロプロジェクト。なんと前作から7年半ぶりのアルバム。楽曲それぞれが丹念に作られた伝統工芸みたいな繊細な音の集まりで、かけられた時間にも納得の仕上がり。

 

 

2022年3月に聴いてよかった音楽

3月は多くの会社で決算月なこともあり結構渾身の新譜ラッシュなことが多いのですが今回も例に漏れず。というか今回あげたやつほとんど発売日一緒なのよね。

 

 

私立恵比寿中学私立恵比寿中学

8年ぶりの新メンバーを迎え9人になって初のアルバム。大橋ちっぽけ・キタニタツヤ・石原慎也(Saucy Dog)など全般的に今っぽい作曲陣を迎えてて、サウンドもそのあたり反映されて前作とはかなり変わったなと思わせるが、「シュガーグレーズ」などシリアスな感じの曲もあり。アルバム新曲の中でも「トキメキ的週末論」「さよなら秘密基地」等が好き。

 

中村佳穂「NIA」

1曲目「KAPO」の「Hi My nane is Kaho!」から彼女らしさフルスロットルで油断してると置いていかれそうになる。「歌」とか「リズム」をまた問い直しているかのようなさまざまなトライは聴いててワクワクするものがある。しかしねえ、「ありよりはべりの五十音の言葉で曲はできます(簡単!)」じゃあないよww

 

藤井風「LOVE ALL SERVE ALL」

今めちゃめちゃ旬な存在になった藤井風の新譜。1曲目「きらり」のイントロ無しで始まるあたりからも本人のボーカルへの自信が感じられる。

 

Cocco「プロム」

新譜を出すたびに凄みだったり時代を反映した祈りのような物を感じさせるCocco作品。今回はラップぽかったりポエトリー調だったり情念こもりまくりのブルースだったり色々バラエティに富んでて面白く聴けた。

 

原田知世「fluitful days」

原田知世さんの曲は落ち着いた気持ちで聴けるので好き。音も好みだし声が良い。

 

サカナクション「アダプト」

長らくアルバムが出なかった時期を超えてからはわりとアウトプットも安定してきた感がある。と言ってもこれも3年ぶりなのねwまあこのあと「アプライ」というついになる作品が出るのはアナウンスされてるので無事に今年か来年に出ることを願うのみ。収録曲のうち半分はこれまでのライブで既にやられてて一部ブラッシュアップされてるけど、テクノ基調のロックというフォーマットの中で色々な音の鳴らし方を試していて彼らのトップランナーたる所以を感じられる。

 

というわけで3月でした!

2022年2月に聴いてよかった音楽

2月について振り返ります。どこかで2ヶ月遅れになってるのを戻したい。

 

MONDO GROSSO「NEW WORLD」

MONDO GROSSOっぽい夜の音楽でかつ今のトレンドもキャッチアップしてる曲が多く、今回もまさに2022年版MONDO GROSSOって感じでかっこいいのだけどその中でも異彩を放つ齋藤飛鳥ボーカルの「Stranger」。突然のシューゲイザー

 

崎山蒼志「Face To Time Case」

かなりの部分を自分で宅録して作ってるという崎山蒼志(以前テレビでGarageBand使ってるって言ってたね)。良いメロディを作るようになってきたなあというのが第一印象で、石崎ひゅーいやリーガルリリーとのコラボ曲も胸に響いてくるキャッチーさがある。

 

花澤香菜blossom

過去2作くらいではなんか模索してた感じがあるけど今回レーベル移籍を機に原点回帰というか再出発という感じになり過去に楽曲提供してきた人が中心に。おなじみ北川勝利さんがThe Weekendの「Blinding Lights」に倣ってa-haの「Take On Me」をオマージュした「Don't Know Why」花澤香菜の声という素材をフルに使いこなした「Moonlight Magic」、沖井礼二さんの傑作ポップチューン「Miss You」など聴きどころ多数の珠玉のポップスアルバム。

 

Robert Glasper「BLACK RADIO III」

ジャズ・R&Bにおける越境と進化の象徴だった「Brack Radio」のシリーズ最新作が登場。今回はエクスペリメント名義ではないというところに「ある程度フォーマット・スタイルとして定番化した(実験=Experimentではない)」ということなのかも。基本的にはこれまでの基本的なフォーマットの「グラスパーはアルペジオ弾いててドラムがヒップホップなサンプラーの人力再現みたいなリズムを叩く」という曲が多いのだけどエスペランサ・スポルディングとの「Why We Speak」やジェニファー・ハドソンとの「Out of My Hands」など新基軸もあったり。既存ラインでもHERとミッシェル・ンデゲオチェロとの「Better Than I Imagined」はドラムのパターンが強い。来日公演、日程が合わないのが残念だ。

 

竹内アンナ「TICKETS」

会心のアルバムだった「MATOUSIC」から2年ぶりのアルバムは歌のバリエーションがさらに広がっててかつ「一世一遇Feeling」とか「我愛me」とかフックのあるタイトルが目立つ、色々な意味で引きの強い一作。

 

Awich「Qweendom」

自伝的リリックの「Qweendom」から始まる、名実ともに日本語ラップの女王といえるAwichの2年ぶり(かつメジャーデビュー後初)のフルアルバム。先行配信されてる楽曲を筆頭に基本タフで強い女性像が描かているんだけど、後半の「Follow Me」や「44 Bars」などはオリエンタルでしなやかなフロウで二面性が引き立っている。その二面性こそが、彼女が女王を名乗れるゆえんなのかもとか思ったり。

 

3月分もなるべく早めに出しますね。その前後で何か書くかも。

2022年1月に聴いてよかった音楽

頑張って今年もつけていきます。

 

マカロニえんぴつ「ハッピーエンドへの期待」

取り立てて新規性みたいなものはなくて王道の邦楽ロック的な感じなんだけど良い。シティ成分もラウド成分もなく90年代後半のバンドからの影響が感じられる所で、今の時代の若手としては新鮮なのかも。

宇多田ヒカル「BADモード」

新規の書き下ろし曲少ないしまあ…とたかをくくってたら不意をつかれてクリーンヒットの一撃を喰らったというか。少ない音数でもこれだけ情報量のある音像を作れるのかという感想(そういう点ではJPOPらしさが薄いので合わないという人はそれなりにいそう)。「One Last Kiss」をはじめとする既発曲もアルバムという形にまとめられて聴くとよりそれらの曲の強度が際立つという構成。そして表題曲以外の新曲「気分じゃないの(Not In The Mood)」、「Somewhere Near Marseiles〜マルセイユ辺り」の2曲がそれらを繋ぎアルバムの流れを成立させてる。というかこの 2曲が強い。Floating Pointが参加した「Somewhere Near Marseiles〜マルセイユ辺り」とか11分超の長さでしかも歌詞の大半が英語で。何かというカテゴライズをすることがいい意味で難しい、現代ポップミュージックの最前線を往く会心の一作。

 

リーガルリリー「Cとし生けるもの」

リーガルリリー、久々に聴いたらとても凛とした佇まいの音を出すバンドになっていた。シューゲイザー的なサウンドは厚みを増し、少しか細かった声は味を残したまま存在感を増している。

 

さよならポニーテール「銀河」

昨年11月リリースのアルバムが今年になってようやくストリーミング配信されたので聴いた。ここ数作の流れを汲んだバラエティ豊かなポップス作品集というのが今作。前半の「劇場」「キマイラ」といった曲が強いが後半もビートが特徴的な「ちいさわへいわ」をはじめとしてバラエティに富んで?良い曲が揃ってて端的に好き。

 

蒼山幸子「Highlight」

ねごとのヴォーカル&キーボードだった蒼山幸子の1stフルアルバム。ねごと解散の半年後に出したEPの曲の再録とか先行シングル曲からねごと(特に後期)の流れを汲んでいることを感じさせるんだけどその一方でゆるやかなバラードや今っぽいビートでクロスオーバー感のある「PANORAMA」など新基軸も感じさせるところでこれからに期待。

 

 

2月分も程なくアップできれば〜