lyrical school「brand new day」から考えるアイドルソングと日常、パーティー、ヒップホップ

lyrical schoolの新曲「brand new day」がとても良い。

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彼女達らしいおしゃれなトラックという形を維持した上で、作詞のLITTLEがいたKICK THE KAN CREWを思わせるアッパーなナンバー。MVがライブシーンであることからも、かなりライブでの盛り上がりを意識している曲だということがわかる。そしてカップリングの「Sing, Sing」はそれに対応したメロウなナンバーで、サビのハーモニーがとても美しい。

その2曲がそれぞれ語るテーマとかから自分が彼女たちに魅力を感じてる点が最近見えてきた気がするので、その点について今回は記しておきたい。それは歌詞に頻繁に出てくる「日常」と「パーティ」について。

まず、リリスク聴きはじめて以来ヒップホップも随分聴けるようになってきたので、Twitterで見かけた以下の本を読んでみた。


文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)

すごく面白かった。開始後数ページで、「ヒップホップは音楽ではない」と言い切りいきなり「!?」となるけど、要は音楽を使った「ゲーム」なのだと。曲前で公然と誰かをdisったりするのも、それが相手と競い合うゲームだからだと。また、ヒップホップのリリックに政治への反発というか時事ネタが多いイメージがあることについても、それはゲームの特質だからということで、こう説明している。

ラップというのは、コミュニティの皆が共感できるトピックをお題に誰が上手いかを競い合うゲームなので、そのトピックの一つとして政治への不満があるという認識です。政治的なメッセージが「金が欲しい」よりも高尚って考えるのはロック的な考えであって、政治に怒りを覚えることもあれば金が欲しいと思うこともあるのが人間じゃないですか。 ヒップホップはあくまで、みんなが漠然と考えていることを気の利いた言い回しでラップできれば勝ち、っていうゲームなんですよ。

だから、必然的にヒップホップのリリックは日常生活と密着した物になる、と。所謂ギャングスタ・ヒップホップで見られる盗みや人殺し自慢とかはそれが彼等の日常に転がっているから歌われるだけだ。それがlyrical schoolという「女性アイドルグループ」というフィルターを通すと、まさに「Myかわいい日常たち」とでも言うべき、女の子の日常がテーマになったリリックになるわけだ。それは恋だったり女子力向上だったり(あまりこの言葉使いたくないんだけど他にいいのなかった)。ヒップホップ頻出の「パーティー」という言葉も、そのアクセントとして機能している。ただしギャングスタ・ヒップホップみたいな「ヤクキメるパーティー」では決してないけどw

ラップバトルみたいな自己紹介ソングは別にlyrical schoolだけでなくライムベリーにもあるし(「SUPERMCZTOKYO」)、FantaRhymeにもある(「Hello」)。まあ戦うというよりも戦国武将が鬨の声を挙げるのに近いと思ったけど(超余談だけど女子のネイルは戦国武将の兜みたいな進化をしているって話をどっかで見てすごく納得したことがある。あれどこにあったんだっけな…)。そんでもって競うかのように「恋の成就」や「デキる女」のようなものを目指してぐいぐい行く女子、というのが基本的なフォーマットになっているのがリリスクの歌詞の特徴。48グループ・ももクロ等の歌詞が男目線女目線を巧妙に使い分けているのに対して、リリスクは徹底的に女子目線。なぜなら彼女達の音楽は、「日常のことをうまい歌詞にする」ヒップホップだから。だから彼女達は日常と密着しているんじゃないか。

48Gやももクロの歌詞の変化も現代グループアイドルの特徴だと言えるけど、一方でリリスクの歌詞もまた現代的と言えるんじゃないか。その辺りを解きほぐしてくれるのが、これまた最近読んだ本。


「アイドル」の読み方: 混乱する「語り」を問う (青弓社ライブラリー)

Perfumeももクロ以降に増えた「アイドルらしからぬ」みたいな変な言説の背景にある「アイドル」という言葉の定義と実態の不一致、人により(もしくは個人の中でも)異なる定義の背景に何があるかということを整理しようという本。極めて丁寧に議論が重ねられているのが特徴で、著者の優しさを感じた。まあそれ故に「アイドルらしからぬ」とか「アイドルの枠を超えた」とかいう発言に思い当たる節のある人にはグサグサ来るだろうと思う。この本が対象と定めている「アイドル」は所謂「2010年代的グループアイドル」なんだけど、その特質をまとめた最終章にこんな一節がある。

AKB48が時折、「クラスで○番目にかわいい子を集めた」といった表現でその特徴を語られることにも表れるように、ジャンルとしての「アイドル」は今日、圧倒的な卓越性を持たない、“普通の女の子”という評価がついて回ることが多い。

そんな中でリリスクは衣装まで「普通の女の子」然としたTシャツ(公式グッズ。デザインセンスはすごく良い)にホットパンツという出で立ちだ(一応専用衣装はあるけど今年になってからからライブでは使われてない)。ヒップホップという日常を切り取る楽曲と、日常感そのまんまの出で立ちが非常に良くマッチして、彼女達の楽曲からにじみ出る「女の子の日常」に説得力を持たせている。

つい最近のNegicco・Especiaとのスリーマンでの彼女達も良かったんだけど、同じライブを見たもぐもぐさんがこんなことを言ってて深く頷いた。

日常を感じさせるからこそ、なんか親近感が湧いてくるのだ。BABYMETALはショーを観に行って楽しむという気持ちがの比率が高いけど、リリスクはショーを見ながら応援する気持ちも強くある。もちろん11月のリキッドルーム単独公演もね。

さて。同書ではその特質に触れる中で、SNSなどを通じたファンコミュニケーションでアイドルの公私あるいは「表」と「裏」が融解していってる現象に触れている。

そこには台本や段取りなど、何らかの対応が必要な規定などなく、日常的な振る舞いと地続きになったアイドルたちの姿が、ファン向けのコンテンツの形をとっている。こうしたコンテンツは、形式的な本分としてのパフォーマンスと、そこから降りてプライベートの時間になる姿との中間点に位置する。

ここから結構踏み込んでネットを通じた公私の融解みたいな話について論じてて非常に読み応えありなんだけど、そのインターネットという現代的なテーマを扱った曲がリリスクにはある。作者のイルリメさん曰く「ネットの集団サディズム性を多くの人が潜在的に、詞中の主人公も含め、許容してしまっている葛藤を歌っている詞」ということでして。かわいくまとめてはいるけど。

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何が言いたいかというと、今回挙げた二つの本はどちらもすごく良い本なので、是非ご一読を、ということ。あとリリスクの「brand new day」はとても良いので是非。

 

 

余談。ラップとは身近なトピックでうまいこと言う合戦なのだとすると、「日本語ラップはダサい」という言説にも説得力がある。なぜならダサいラップは合戦に負けたものだからだ。裏を返すと勝ったラップもあるということであり、「日本語のラップだからダサいわけではない」ということも言える(日本語の音とラップの相性が良いかの問題はとりあえず置いておく)。外国語のラップにも、その言葉のネイティブからしたら「うわっ、このラップ、ダサすぎ…?」というものがきっとあるだろう。