たにみやんアーカイブ(新館)

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lyrical schoolとアイドルラップの話〜その3:最後にして最高の作品「L.S.」

先日アップした記事に続き、7月24日の日比谷野外大音楽堂でのライブを最後に現体制を終了するlyrical schoolの活動と表現を振り返り、彼女達の独自性や活動の意義について考えていく。1回目はリリック面2回目はトラック・ビート面にフォーカスを当て彼女達の表現が「アイドルによるヒップホップ」としてリアリティと輝きを放っているものであるということを読み解いた。今回はそれらの表現の集大成にして完成形といえる最新アルバム「L.S.」について大いに語る。

因みに、私は熱心なヒップホップリスナーというわけではない(それなりに今旬なのを聴いたりするが)ので、ここからの内容には多分に先行のさまざまな書き手からヒントをもらっているものがある。なるべく自分で再構築することで引き写しにならないように努めたがその点最初にお断りしておきたい。また、私の解釈が絶対の正解というわけでもないということも事前に記しておく。

「5人のリリスクの完成形」ことアルバム「L.S.」

この「L.S.」というアルバムは聴く人によって聴こえ方が大きく変わる作品であることは間違いない。音楽的なトライが多数行われている一方でメロウな楽曲の比率も高く、現体制終了という事実が多くの曲を(本来そういった意図で作られたわけではないであろう曲までも)別れの曲として聴こえさせてくるのもまた事実である。ではそういった文脈を無視して聴いて冷静に評するべきなのか?いや、そうではないだろう。作品を取り巻くさまざまな環境も含めて(取り込んで)作品として味わうことでよいだろう。従って、本稿でも私が別れを連想した部分については正直に言っていく。

まず今回の「L.S.」のアルバム構成上の特徴として、オープニング以外のトラックにスキットが無いことが挙げられる。こういった構成になっているのはこの5人で初めて出したアルバムである「WORLD'S END」以来であると同時に、この2作しか該当しない。今作が今のリリスクの完成形を見せることをそもそものコンセプトにしているために、ストーリー付けなどはしなかったものと考えられる。また、今作の特徴としてほとんどのトラックをヒップホップ畑のトラックメイカーが手がけているというところも挙げられる。ヒップホップ畑でないのは大久保潤也・上田修平・高橋コースケのおなじみ3人くらいだろう(前作「Wonderland」はこの3人と泉水マサチュリーで半分の曲を作っていた)。この辺りについては前項で述べた「アイドルのヒップホップ」のリアリティを担保する人選とも言える。その結果これまでで一番サウンド的にも振り切った印象を受けるアルバムであり、自分としては大好きでこれが今の5人のリリスクの最高傑作であるとすら思っているのだが、思いっきりモードチェンジしているゆえにとっつきやすさが感じられず評価が分かれる面もあるだろうなとは感じられる。

さて、オープニングトラック「R.S.」を終えた後の最初の楽曲は「L.S.」である。ALI-KICKと大久保潤也というこの5人のリリスクのことを最もよく理解している2人による満を辞してのセルフボースティングラップだ。一聴すると過去2作でもアルバムのオープニングナンバーだったALI-KICK曲同様のオールドスクールっぽい意匠の楽曲に感じられるが、現行ヒップホップによく見られる歪んだ太いベース音が入っているところなどはこれまでと違うところを感じさせるし、歌唱メンバーが変わるとそれに合わせて楽曲自体がコロコロ変わる構成はプログレを思わせるところで、一筋縄ではいかない複雑な楽曲構成になっている。「あのこ気になる誰?」と「This is a lyrical school yeah」での押韻は痛快。この楽曲でのラップスキルレベルは相当に高く、内容面と合わせて彼女達の5年間が凝縮されたものになっている。その中で後半にドロップされるhinakoパートにおける80年代みのあるアイドルポップスとヒップホップをマッシュアップしたような展開はこれまでの「アイドルによるヒップホップ」を180度回転させたかのような「ヒップホップアイドルによる王道アイドル*1の実践」とでもいうかのような逆批評行為ともいえる20秒間だ。後半部の勢いそのままビートの密度を上げながら曲はテンション高いままフィナーレへと突入していく。

次のLil’Yukichiによる「Bounce」もミニマルな音に太いベース音が味を添える現行ヒップホップとの接続性を感じさせるナンバーだ。タイトル通りの「Bounce(跳ねる・はずむ)」するラップがこちらの心もBnunceさせてくる楽しいフロウだ。ビートの乗り方を解説していく歌詞の中に含まれたかわいらしいパンチラインとミニマルでシリアスなビートとの対比が面白い。関西人yuuによるフックの「最高やん〜」が最高で、メンバーと一緒に「最高!」って声を出して返したくなる。この曲のラップをスムーズにこなせていることからも彼女達がどれほどのものを積み上げてきたのかがわかる。

3曲目「Pakara!」はValkneeがリリックを、バイレファンキかけ子がトラックを担当した作品である。2021年の夏に披露された夏ソングで、「サーモグラフィー赤い赤い!」という一節は2021年の時代を反映した表現とも言える。トラックは作曲者の名前さながらのバイレファンキ。バイレファンキとはブラジル発祥のヒップホップのサブジャンルで、ミニマルな音にいろいろな音が乗っていて他の国の「Funk」とは全く違う独自の進化を遂げている音楽だ。色々な不規則なリズムと頻繁に鳴るノイジーなブザーのような音、Valknee作詞の「HOMETENOBIRU」を彷彿とさせる凶悪なトラックだ。しかしながらそんな凶悪かつ複雑なビートを乗りこなしながらかわいらしく夏を表現できてしまうってるのがこの5人のリリスクだ。音源だとライブではやらない色々な喋り・掛け声・合いの手などが聞こえてくるのでそこにも注目するのもよし(ライブはライブで様々なメンバー間の掛け合いがあるのでそちらも見てて楽しい)。

4曲目「ユメミテル」はこれまでの曲とは打って変わってのオーセンティックなヒップホップ楽曲だ。もちろんファストラップが挟まったりして技巧的にはなかなかなものであるものの、MUROによるトラックとKashifによるギターの組み合わせはオーセンティックな80'sファンクっぽい感じ。しかしながら歌われる内容からしてただのベタな曲ではないのは第1回で述べてきた通り。ZEN-LA-ROCKが鮮やかにアイドルラップの栄光と苦悩について描いたリリックを通過して歌い上げられる「ユメミテル」のフレーズ。これは1996年の7月に日比谷野音で行われたヒップホップイベント「さんぴんCAMP」で女性ラッパーHACが歌った「SPECIAL TREASURE」のフックそのものだ。

現行ヒップホップとの同期と共に過去からの継承も同居できるところがアイドルによるヒップホップの実演が持つ強みであるというところがこの「ユメミテル」に象徴されている。アイドルラップだからできるのだ。他の誰にもできやしない。

そしてPES作曲の「LALALA」に移る。夜のクラブのパーティーでの気になるあいつとのストーリーみたいなものはむしろ過去のリリスクの方において多用されてきたモチーフだったりする。しかし一方でそこで「ねえ、はっきりしてよ!」と相手側にグイッと行くあたりは今の5人のキャラを多分に反映しているように感じられて微笑ましい。トラックはアコースティックギターの音色が印象的なものだが、イントロとフックはよくよく聴くとDoja catの「Say So」を巧妙にサンプリングしている。PESらしい遊び心の詰まった一作。

続いてRachel(chelmico)とRyo Takahashiのコンビによる「バス停で」。前作この2人によって作成された「Fantasy」のような攻撃的なトラックではないものの相変わらず音数は多くビートを叩く楽器も様々なものが使われており、おもちゃ箱のような印象のサウンドだ。リリックはバスに乗る「君」を見送り手を振るというところから別れを描いたものであることがわかる。バースの部分では「いつか思い出そう こんな日々があったこと」にかかるところで具体的な情景描写が挟まれており、この曲全体で描かれる「別れ」の前提に良い思い出があることを示唆している。まるで今のリリスクのメンバー5人と私達リリスクヘッズのような。こうなると7月24日の野音のライブのことを意識せずにはいられない。たくさん楽しいことがあったね、だから大丈夫、明るく旅立とうねというメッセージなのだろうか。ライブでこの曲のフックで手を振る時、7月24日に手を振るときの気持ちに思いを馳せざるを得ない。

続いてはLil’Leise But GoldとKMによる「The Light」だ。このコンビによって提供された前作「TIME  MACHINE」のようにKM流トラックががっつり。「TIME MACHINE」は轟音のベースが特徴的だったが「The Light」はギターリフが印象的だ。同時期に作られたと思われる(sic)boyのアルバム「vanitas」とのシンクロが感じられる、サウンド的にはバリバリのエモラップだ。ラップの内容は前半では「UNION,CISCO,JETSET Record 限定買いにハシゴする」「世紀末,109,バナナジュース」といったLil’Leise But Gold自身の青春時代だった2000年前後の情景が歌われるが、後半は一気にリリスクにフォーカスが当たり、5色の個性が光る様やファン達への感謝が歌い上げられる。様々な「光」を歌う中でファンと演者の関係性を「光」になぞらえるリリックは聴いていると感情が昂ってくる。

その後のValkneeとlil soft tennisによる「Find me!」もエモラップの系譜に位置付けられる楽曲と言える。最初に公開された時はフックで奏でられるシューゲイザーな轟音ギターリフがあまりに印象的だったため「リリスクがシューゲイザーしてる!」という反応が多く(自分もそういう反応をした)、MVでyuuがギターを持つ姿に対しキムヤスヒロが参考としてスーパーカー中村弘二(ナカコー)の映像を見せていたことやMVがVHSのような映像処理をされていることもあり懐古的な文脈で捉えられることもあるが、普通に今のヒップホップの音だ。そして、Valkneeによるリリックでは抽象的で断片的なシーンの描写が続く中、何かが色あせて変わってしまったかのような世界が描き出されている。その中、「今はするどい肌で傷つく」という意味深な描写と共に「いつの日か遠い街に住む」というフレーズ。これはきっと別れの歌。しかも、「バス停で」とは違った別れを歌った歌だろう。過去のライブの光景やオフショットが走馬灯のように流れるMVも相まってどうにもしんみりしてしまう(このMVが出たときにも現体制終了の予兆は強く感じた)。しかしながらとても美しく叙情的な、リリスクらしい一曲だ。

いよいよアルバムは終盤に入り、BBY NABEとR.I.K.による「Wings」だ。BBY NABEといえば「チェリー」のリメイクがTikTokでバズるなど話題を博しているが、そもそもNY生まれのバイリンガルであり、リアルタイムで現行のヒップホップに触れている存在だ。そういったところから、彼の作ったラップのフロウは今作収録楽曲の中でも特に今っぽさを帯びている。たとえば「早いJet 宇宙がNext I'm a Jetson」という冒頭のラップに顕著に見られるように、全体に渡って早く細かく刻んでラップをしていくフロウからも今っぽさを強く感じる。リリスクのアイドルラップの表現がここまで到達したことの素晴らしさ。今彼女達は大きく羽ばたこうとしているのだ。

いよいよラスト前の1曲は元Awesome City Clubのマツザカタクミとtengal6時代から楽曲制作に携わっていた高橋コースケのコンビによる「NIGHT FLIGHT」。イントロのフィルを経由してからけたたましく鳴るシンセフレーズ。キックの強調されたビートに乗せた速いラップ・三連符のラップ。この過剰なまでに攻撃的でけたたましい音像は、まさにハイパーポップだ。現在進行形の最前線の音楽も今のリリスクは包含して表現しているのだ!リリックの内容はタイトル通りで、高橋コースケが初めてこの5人のリリスクの曲で関わった「つれてってよ」さながらの夜、それも真夜中を思わせる内容。スピード感と切迫感、そしてhinakoバースで歌われる「変な踊り湿度空気思い出すと止まんない」という寂寥感など様々な感情が混濁したまま、彼女達は夜に飛び立っていく。ライブで披露されたタイミングが少し遅かったことやこの後に控える曲のインパクトが強すぎることもあり、なかなかライブの中での盛り上がりどころになることは少ないが、曲自体のドラマティックな展開やアルバム内での位置付け、リリスク自体の進化・成長と並べて見るにとても重要な曲であるし、私はこの曲をライブで聴く度に感情が大きく揺さぶられている。この爆音の中、凛と立つ5人はとても美しい。

そして最終曲にして一番最後にレコーディングされた曲*2である「LAST SCENE」に舞台は移る。この5人のリリスクに最もたくさん曲を書いてきたであろう大久保潤也・上田修平のコンビにより制作された楽曲はトラックこそオーソドックスなディスコチューンを基調にしたものであるが、minanがフックを歌い続け、他のメンバーが交互にラップをしていくという構成があまりにも美しい別れの歌。一方でminanは「この曲は愛の曲だ」という

これはまさに愛の曲だと思います。いまの体制のリリスクは、終わりがあるなかでのいまの儚さ、刹那的な煌めきみたいなものをずっと歌ってきたんですけど、いままさに私たちがそういう状況になったなかで、それが決してつらいだけではないことを、曲を通して伝えてくださっていて。野音ではこの曲を笑顔で歌いたいんですけど、やっぱりウルッとしちゃいそうです(笑)

そう、フックでは一貫して「愛とかピース」と歌っているのである。そしてバースでは卒業する各メンバーが様々な形で「終わる」ことと向き合うリリックを披露していく。risanoは「zipしてlockしてfreezeする」ことを願い、yuuは抵抗する心を表明するも「どんなラストシーンだったとしても君は美しいんだろう」とその終わりを受け入れる。himeは「いつだって今がこれまでのラストシーン」と終わりの先にあるものを見据え、hinakoは「いつか君の手を離すだろうけどもう少しこのまま」と、今にも消え入りそうな声で最後の一瞬までにフォーカスしていく気持ちを表現する。minanは次への橋渡しをしつつ最後まで踊り続けていたいねと呼びかけてくる。五者五様のラストシーンの迎え方を見届けながら、私達も本物のラストシーンに向かって行くのだ。2022年7月24日、日比谷野外大音楽堂に向かって。

先ほども少し書いたが、私はこのアルバムはこの5人のリリスクの最高傑作と呼ぶにふさわしい作品だと思っている。まず何より全ての曲がずば抜けて良い。従来リリスク作品に見られたコンセプトやストーリーなどはないものの、この5年間の彼女達の歩みが曲の良さを補完するストーリーとして働いているともいえる。驚くほど強烈な個性を持った楽曲達が躍動しているアルバムは極めて今の5人のリリスクらしいといっていいのではないだろうか。とにかく個々の楽曲が素晴らしいベストパフォーマンスといえる出来であることに、ここまで到達してきてくれてありがとうという感謝の気持ちが絶えない。この形がこれ以上見られなくなることは悲しいし残念だが、最後にこんなによいアルバムを出してくれ、トップパフォーマンスで締められることは本当に喜ばしいことだ。このアルバムでリリスクの5人が到達した地点というのは5年前には想像し得なかった境地だろう。そう言い切れるくらいにこの「L.S.」は良い作品なのだ。今の5人のlyrical schoolへの特大の感謝を表明して今回の文章を締めたい。そして、1ヶ月後に迫った日比谷野外大音楽堂でのライブが素晴らしいものになることを願ってやまない。

 

もう少しこのままで 夢ならさめないで  ーLAST SCENE

*1:まあ80年代的な(という呼称が正しいかわからないが)ブリブリのアイドルポップスが王道アイドルソングなのか、というのは議論としてありそうな気はする。各時代によってアイドルのあり方や楽曲の特徴は大きく違っているのだが、アイドルについて話をする時にそのあたりが考慮されないことが多いのはアイドルというカテゴリー・ジャンルにおいてはあまりよいことではないように感じる。とはいえこういった「王道かわいいアイドル」というと超ときめき♡宣伝部等少数にも思えるところだが、hinako・yuuの派生ユニットであるブラガもそこに入る稀有な存在であるように思う

*2:この楽曲をレコーディングした時点では全員が進退を決めていたという(RADIO DRAGON NEXT 6/3放送分)